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浦島そらへい東京を行く~西荻編 [旅]

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 西荻に着きました。久しぶりの西荻です。正式には西荻窪なんですが、「にしおぎ」と略して呼んでいたような気がします。今もそうかもしれません。

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 ホームから階段を降りて改札口まであまり昔と変わらない印象でした。改札口も当時と同じ所にあり一カ所だけでした。改札を出ると正面、ここにも駅ナカのショッピングモールがありました。

 その前では野菜の朝市が開かれる準備が始まっていました。西荻は私が住んでいた当時から、無農薬野菜とか有機野菜を売っている店があって、そういう面では先進的な所だと思います。

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 駅北口を出たところから見た西荻窪駅の外観です。当然ですが、駅舎もその回りも私が知っている姿とは違ってずいぶん洗練されたように見えます。

 まず、北口駅前から吉祥寺方面に伸びる駅前のバス通りを歩くことにします。この道は伏見通りと言うそうです。私はずっと女子大通りと思っていたのですが、女子大通りはもう少し先のようです。

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 歩き出してすぐ右手にモスバーガーがあります。ここに昔「リスドオール」と言うパン屋さんと喫茶店が一緒になったお店がありました。一階がパン屋さんで二階が喫茶店、昔は喫茶店を併設したパン屋さんやケーキ屋さんがたくさんあったものです。ここもそんな一つでした。

 店長さん夫妻はどちらがどっちだったか忘れましたが、北海道と九州出身者で東京で出会って結ばれたご夫婦でした。店長さんはそれまで、パンの配送運転手をしていたのにお店を任されて、ネクタイ姿がなかなか板につかない面白いおじさんでした。奥さんは小柄でしっかり者、庶民的で素敵なご夫婦でした。

 パンを買ったり、二階の喫茶店で長時間粘ったり待ち合わせに利用させてもらったりして、懇意にさせていただきました。今はすっかりモスバーガーの店舗になっていますが、色こそ違え建物の全体の印象は昔と似ています。外壁を塗り替え改築して利用しているのかもしれません。

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 驚いたのはその隣の路地にあるビリヤードの看板でした。昔と同じ位置にあるように思えます。もっとも当時は電光式ではありませんでした。もちろん、回りの建物などもすっかり変わっています。

 懐かしい思い出にしばしたたずんだ後、モスバーガーの店の前を通って吉祥寺方面、私が住んでいたアパートのある方へ向かいます。空は相変わらずどんより曇り続け、膝の違和感は昨日までの達者な歩きを許しません。荷物を駅のコインロッカーに預け忘れてしまい、バッグとカメラの重みが肩に食い込みます。

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 古いたたずまいです。見覚えがあるような気がするのですがあまり鮮明な記憶は蘇ってきません。そう言えば、この蕎麦屋さんの近くに畳店がありました。職人さんが店先で肘を立てて畳の縁を編んだりしてましたね。

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 このお店ははっきり覚えています。私が西荻に住んでいた頃に出来たのでした。デートではないのですが、一度だけある女子大生とここで待ち合わせをしたことがあります。暗い店内で、アンティークなテーブルや椅子などが配置されていたように思います。どんな音楽が鳴っていたか記憶がありません。

 毎日通った通りですが、はっきりと見覚えがあるのは「物豆奇」だけだったかも知れません。当時コンビニはまだ出始めの頃で普及していませんでした。代わりに個人営業の小さなスーパーがありました。他にやはり小さな書店、古本屋、ケーキ屋、煙草屋、パチンコ店などの記憶があるのですが、今は面影を見つけるのも難しそうです。

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 小さなスーパーがあったあたりのビル、その地下にロックのライブをやっているお店がありました。写真の撮り方が中途半端で店名がはっきり見えてませんが、こういうのを見ると西荻も頑張っているなぁと言う気がします。

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 狭い通りを相変わらずバスやタクシーが通り過ぎて行きます。こういう所は昔と少しも変わっていないですね。通りはやがて突き当たって右に折れ、そのすぐ先の交差点を左に曲がると女子大通りに繋がります。

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 その交差点です。正面の道が女子大通りに繋がる道です。私が住んでいたアパートはこの道の左手、交差点から数えて最初の路地だったか二本目の路地だったかを入った所にありました。

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 交差点を別の角度から撮りました。白い建物は、昔もあったような気がします。色はもっと違った気がするのですが、一階のシャッターが閉まったところは当時レストランでたまに利用していました。

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 交差点の左端、写真では画面中央の電信柱があるあたりに昔、公衆電話ボックスがありました。その電話ボックスから北海道に住む友人に電話するため、100円玉をいっぱい積んでかけました。それでも北海道は遠くて、普通にかける10円玉の様な勢いで100円玉が落ちていきました。携帯、スマホで自由にコミュニケーションが取れる現代では考えられない話です。

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 同じ交差点を先ほどの白い建物の方から撮りました。このあたりに「さかき珈琲店」があったのです。20年あまり前に来たとき、もちろんもう「さかき珈琲店」はなくなっていて、ログハウス風の外観だけがわずかに残っていたのでした。

 ログハウス風の壁を目印に何度も探して見たのですが見つかりませんでした。以前来た時からでももう20年以上経っているので、おそらく建物ごと建替えられたのでしょう。

 「さかき珈琲店」の娘さん、現在結婚して長野在住の渡辺チエコさんのブログ情報によると「さかき珈琲店」のあったところ、今は別の方の骨董店になっているそうです。

 「さかき珈琲店」については、拙ブログ「そらへいの音楽館」のhttp://sorahei-s.blog.so-net.ne.jp/2011-07-08及びhttp://sorahei-s.blog.so-net.ne.jp/2012-11-02をご参照ください。

 渡辺チエコさんはちょうど1年前、懐かしい地元西荻で復活ライブをされたそうです。残念ながら私は行けなかったので今回西荻にはよけい思い入れがありました。


 次に私が住んでいたアパートがあったとおぼしきあたりを何回か回ってみましたが、またしてもそれらしき建物は見つかりません。以前来た時は、人が住んでいる気配はなかったのですが、アパートの建物自体は残っていました。

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 この路地の一角にあったと思います。私が住んでいたアパートともう一つ別のアパートが並んでいましたが、今は一軒家しかありませんでした。路地は突き当たって左に折れ、道なりに行くと元来たバス通りに出られるようになっていました。私は帰ってくるときは先ほどの交差点のある方から帰り、出かけるときはこの路地を抜けてバス通りに出ていました。

 路地は春になるとジンチョウゲの甘い香がしていたことをよく覚えています。途中に三味線屋さんがあり、広いガラス戸の向こうで、和服を着た男の人が板の間に正座して仕事をしていました。

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 今、そことおぼしき所はこんな風になっていました。

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 三味線屋さんのあった路地からバス通りに抜け出たところです。

 余談ですが、数年前、確かジャズのレコードをオークションで購入した時、送り主の住所が私がいたアパートの住所と近似していたので驚いたことがあります。そんな偶然もあるのですね。

 また、アパートの近くに故丹波哲郎さんの豪邸があったのですが、今回歩いて見つけられませんでした。その道を吉祥寺の方に向かうと、武蔵野を思わせるちょっとした森があったのですが、今はわずかに木々が残り、マンションや住宅が建ち並んでいました。


 西荻時代は、私の東京生活の中でも平穏で落ち着きのある楽しい時だったように思います。東中野の西日の差すアパートから、家賃は上がるけれど、閑静な住宅街、部屋は6畳間に十分な広さの押し入れと少し広めのキッチンがあり、日当たりと風通しの良い東南の角部屋でした。トイレはまだ共同でしたが、住人は私を含めて3人だけだったので東中野とは比べものにならないくらい快適でした。

 東京女子大の脇を通り抜けた奥には、善福寺公園があって、そこへもよく散歩に行ったりしていました。井の頭公園ほど広くも有名でもないのですが、水と緑の豊かな静かな公園でした。また中古の自転車を買って、松庵の方や、西武新宿沿線あたりまで足を伸ばしたりしていました。

 東中野の生活を峻烈な夏や冬に例えると、西荻の生活は穏やかな春や秋に例えられるかも知れません。実際、それぞれのアパートでの生活を思い出すと、それらの季節の思い出が蘇ります。

 聞いていた音楽も東中野では、マイルスクリフォード・ブラウンなどのジャズをしゃかりきになって聞いていましたが、西荻では静かにピリスグルミュオーのモーツァルトなどを聞くことが多かった気がします。

 私は西荻に3年から4年いたのですが、そのうちの2年は西荻北に、残りは西荻南に住んでいました。これも先ほどの例えを引用すると、西荻北での生活は希望に満ちた春であり、西荻南は淋しい秋に例えられるかと思います。実際、私は西荻南のアパートで東京生活に別れを告げる決心をしたのでした。

 楽しかった西荻北での生活が暗転したのは、駐輪場に預けていた自転車を盗まれた頃からだったような気がします。ちょっとしたいろいろな事に不便を感じるようになりました。同時に暮らし向きが思うように行かなくなり、親しかった人と誤解が元で仲違いになったりしました。挙げ句の果ては大家さんに追い出しを食らって、泣く泣く西荻南のアパートに引っ越したのです。

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 自転車を盗まれたガード下の駐輪場です。高い物でもなかったのですが、便利な足を奪われてショックでしたね。今から思えば買い直せば良かったのに、なぜか買い直すこともしませんでした。


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 ジャズ喫茶「アケタの店」の入り口です。平日の午前なので、店はまだ眠ったままでした。「物豆奇」で待ち合わせた女子大生と浅川マキのライブを聞きに行きました。そこであろうことか、男の私が痴漢に遭い、騒いでしまったので浅川マキさんに叱られたという苦い思い出があります。

 「アケタの店」を見つけたとき、あれ移転したんだと思いました。「アケタの店」は通りの左にあり、独立した建物だったと記憶していたのです。しかし、「ジャズ日本列島」を調べたら、当時と同じ住所でした。私の記憶違いです。

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 「アケタの店」から北口駅前に戻りました。奥に西友が見えます。当時西荻には北口と南口に西友がありました。今は、北口だけが残っているようです。少しだけ中に入ってみました。入ってすぐ左手奥、当時野菜などが売られていたところで、「さかき珈琲店」のお嬢さんを最後にお見かけしたのでした。

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 西荻窪駅南口です。真正面、私が暮らしていた当時、故菅原文太さんのお店がありました。何屋さんだったかすっかり忘れてしまいました。飲食店だったと思うのですが。

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  ぼんぼちぼちぼちさんの記事に登場したことがある象のアドバルーン、何処にあるのだろうと思っていたのですが、南口真正面の狭い商店街にありました。この商店街は、昔もあったと思いますが、私はあまり通った記憶がありません。

 中央線ガード沿いの道に戻って荻窪方面へ歩きます。南口は北口ほど思い入れはないのですが、それでもよく利用した食堂や喫茶店を探して歩きました。しかし、それとおぼしきお店を見つけることは出来ませんでした。

 ただ、昔利用した小さな書店が軒並み潰れている中で、ガード下マイロードにある「西荻ブックセラーズ」が健在だったのは嬉しかったですね。このお店は当時でも、店の外ではありましたが、数人が腰掛けられるベンチを設けたりしていました。

 南口のアパートもとうとう見つけることが出来ませんでした。アパートのあったあたり全体が変わってしまっているようでした。見覚えのある洋館風のお宅が近くにあったので、通りを間違えてはいないはずなのですが。

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 ざっと二時間あまり歩いたでしょうか。今日行けなかったところ、もっと足を伸ばして西武新宿沿線なども歩きたかったのですが、もう時間も体力も限界に近づいていました。

 いつもならもっとお遅い時間に新幹線の指定を取るのに、歳のせいでしょうか、明日仕事と言うこともあって午後の早い時間に指定を取ってしまっていたため、残された時間はわずかになっていました。土産を買う時間なども算段しながら、残った時間をどう有効に使うか、考えながら中央線の乗客となりました。


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himanaoyaji

東京は広いですよね、ここは行った事無いです、
でも住むには良い感じの街みたいですね、 q(^_^)p
by himanaoyaji (2015-11-14 06:29) 

たいへー

私は南に住んでいたので、南口のビルの風景が懐かしいです。
逆に北はあまり行った事が無い。
北口近くの路地の焼き鳥屋くらいかなぁ。。。

by たいへー (2015-11-14 07:35) 

takenoko

こういう街中はどんどん変わっていくので、昔の住処はわからなくなりますね。
by takenoko (2015-11-14 08:09) 

sigedonn

なんか、いいですね~。空気が、街のにおいが伝わります。
そして、足腰の疲れも(笑
自分がいけない分、代わりに読ませていただいて
青春に帰らせてもらいました。
西荻か荻窪で友人を訪ねて、一緒に食べた
もつ鍋のこと思い出しました~~(ちょっと涙
by sigedonn (2015-11-14 09:49) 

su-nya

私も一度だけ高円寺北の、もと住んでいたところを
訪ねてみたことがあります。

私の高円寺時代は唯一の一人暮らし、
タバコをふかしてみたり
一人旅に出てみたり
暗室を作って写真学校に通ってみたり
暗中模索でしたが、ついに病に倒れて
うちに連れ戻されたので
敗北感・・・で終わりました。
by su-nya (2015-11-14 12:43) 

ぼんぼちぼちぼち

西荻には楽しい思い出も辛い思い出もおありだったのでやすね。
物豆奇、中には入らなかったのでやすね。
アンティークな雰囲気で最高でやすよ。
BGMはジャズが控え目な音量で流れてやす。
それから、今回もリンク貼ってくださりありがとでやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2015-11-14 18:00) 

夏炉冬扇

愚息もよくネットで購入してます。
by 夏炉冬扇 (2015-11-14 18:55) 

タックン

思い出の地をよく記憶されていますね。
私も3年間くらい住んでいたのですが、思い出せる店の名前浮かびません^^;
住んでいたのは上荻だったので北口から乗り降りしていたはずなのですが、郵便局があった通りを歩いて、小さな橋を渡って通ったことくらいしか思い出せません。
今回地図でたどってみてその橋の下の川が善福寺川だったのを知りました。私も西荻時代は青春真っただ中、記憶の中では楽しい思い出がいっぱいです。
by タックン (2015-11-14 20:45) 

しばちゃん2cv

自転車盗られるとへこみますよね。
by しばちゃん2cv (2015-11-14 20:53) 

そらへい

himanaoyajiさん
こんにちは

本当に東京は広いですね。
JRにしろ私鉄にしろ、駅を降りると必ず幾つか商店街があって
それぞれどこも賑わっています。
そんな中、西荻は確かに住みやすい街だった気がします。
by そらへい (2015-11-15 09:39) 

そらへい

たいへーさん
こんにちは

たいへーさんは南口でしたか。
なんとなく、北口の伏見商店街あたりの理髪店を想像してました。
西荻と言っても、広いですからね。
あちらにもこちらにも商店街が展開されていました。
どの通りも歩いたけれど、やはり生活に直結した道ほどではありませんでした。
by そらへい (2015-11-15 09:49) 

そらへい

takenokoさん
こんにちは

むしろ昔がそのまま残っている方が珍しくて
見つけると思わず、声を掛けたくなりましたよ。
by そらへい (2015-11-15 09:51) 

そらへい

sigedonnさん
こんにちは

すこしくらいシチュエーションは違っても
あの時代に流れていた空気は同じですね。
西荻での生活は当然いろいろありましたが
思い出すと、ゆったりとして楽しかったことが多かった気がします。
出会った人たちのことも、優しく暖かく振り返れます。
みんなどうしているのか
もう、出会うすべもありません。
by そらへい (2015-11-15 09:55) 

そらへい

su-nyaさん
こんにちは

みんな麻疹みたいにそんな時がありますね。
私はそれが少し長すぎたでしょうか。
中途半端では終わらせたくなくて、もっと中途半端に
成ってしまいました。
しかし、敗北感は大事ですね。
田舎に帰ってから、(欺瞞かも知れませんが)
私は敗北感を糧にして生きてきた気がします。
なんでも、挑戦しないことには敗北もありませんからね。
by そらへい (2015-11-15 10:02) 

そらへい

ぼんぼちぼちぼちさん
こんにちは

あちこち歩きたいところがありすぎて
店に入ることを忘れていたというか
入る余裕がありませんでしたね。
確か、 ぼんぼちぼちぼちさんの記事で
ジャズが流れていると読んだ記憶はあったのですが
昔入った時の記憶がありません。
断りもなくリンク貼ったのに
快く承諾していただいてありがとうございます。
by そらへい (2015-11-15 10:08) 

そらへい

夏炉冬扇さん
こんにちは

ネット通販、もう手放せませんね。
便利な世の中になりました。
反対の局面も当然あるのでしょうが。
by そらへい (2015-11-15 10:10) 

そらへい

タックンさん
こんにちは

タックンさんが通われていた道は北口でも私とは反対方向で
多分JRのガード下を通り抜けて北と南を繋いでいる道路に面した
北銀座商店街ではなかったかと思います。
頻繁ではないが時々通ってました。
善福寺川は神田川などと同じくコンクリートに囲まれていたような気がします。その川の先に池があり周りが善福寺公園になっていました。
北銀座商店街には自然食品を扱った木曜館というお店があったり
まだめずらしいセブンイレブンが上荻の方角にできたりしてましたね。
私の青春は引っ張りすぎて少々くたびれかけていましたが
西荻、思い出すと楽しいことが多かったですね。
by そらへい (2015-11-15 10:33) 

そらへい

しばちゃん2cvさん
こんにちは

本当に、自転車って妙に堪えますね。
娘が駅の駐輪場でやられた時も
ショック受けてました。
by そらへい (2015-11-15 10:35) 

cafelamama

かつて、そらへいさんが過ごした街の空気感が伝わってくる文章ですね。
私はこういう空気感に、無条件に反応してしまうところがあります。
90年代初頭ですが
私も家内と二人で、70年代に暮らしていたアパート巡りを
やったことがあります。
当時から16~7年後の散策でしたが
すでに面影が消えてしまった場所が多数あって
ノスタルジックな感慨にふけりました。
また、東小金井に住んでいた時、桜の季節に善福寺公園まで
自転車で行ったことを思い出しました。
by cafelamama (2015-11-15 17:01) 

song4u

確固たる記憶力。
そして、色々な出来事を大きく幅広く包容し得るマインド。
・・・それらは、そらへいブログのベーシックな部分を支える根幹のような
ものだと思いますが、今回も見事にそれが昇華していますね。

本文の中にも登場する「さかき珈琲店」の記事。
(本当は「その後」ではなく、2011年7月8日のマッチコレクションの記事)
読んだ当時の鮮烈なイメージと言ったらありませんでした。
今でも容易に思い返すことができます。

そらへいブログ、ホントにいいなあ。
無料で読ませてもらって誠に申し訳ありません。
いつもそう思いながら拝読しております。
by song4u (2015-11-15 22:02) 

yoriko

西荻窪には20年程前に一度行った事がありますが
骨董屋さんが多い街だったように記憶していました
街の両側にお店を連ねていて一軒の骨董品屋さんで
一緒に行った娘が指輪を買ってくれました
あっ、あの指輪どこに行っちゃったかしら(><)
骨董品屋さんが沢山ありませんでしたか?
私の記憶違いで、もしかしたら「西」が付かないただの
「荻窪」だったのかも・・

by yoriko (2015-11-15 23:03) 

きよたん

良く憶えていますね
浅川マキさん懐かしいですね
昔まだ田舎の高校生の頃よくレコード聞いてました。
そらへいさんくらいの記憶力があると
同じ街角に違う建物が建っていても
ちゃんと映像として比較できるので
よりきちんとセンチな感覚に浸れる気がします
私も中野阿佐ヶ谷吉祥寺と移り住んでいて
いまだにあるお店があると嬉しいです
by きよたん (2015-11-15 23:33) 

駅員3

ジモティーは「ニシオギ」ですね。
私も大変懐かしい場所です。
そらへいさんの記事を読みながら私も学生時代に思いを馳せていました。
できることなら、一度あの時代に戻ってみたいものです。
by 駅員3 (2015-11-16 07:37) 

そらへい

cafelamamaさん
こんばんは

空気感に反応していただきありがとうございます。
お二人で歩かれる懐かしい街もまた、感慨深いものでしょうね。
建物がなくなってしまっていることと同時に、
あの頃知り合いなった方々は今頃どうされているかと思いますね。
今回、久しぶりに東京を訪ねてみて、今までと一番違ったのは
私の視線が年配の方にばかり行くことでした。
もちろん覚えのある人など見つけられるはずもないのですが・・・
善福寺公園の桜、私も見に行きました。
今回行けませんでしたが、
あの辺は今もあまり変わっていないかも知れませんね。
東京から帰ってきて、こうして文章を書いたりしていると
今更のように懐かしさがこみあげてきます。


by そらへい (2015-11-16 20:06) 

そらへい

song4uさん
こんばんは

ご指摘ありがとうございました。
自分の文章なのでつい、確認せずにリンク貼ってしまってました。
まだまだ慎重さが足りないようです。

お褒めの記憶力にしても、じっさいはかなり曖昧な物です。
今回は約20年振りですが、それまでに何度か歩いているので
そのせいで記憶している所もあるのでしょう。
また、すっかり忘れていたことも、今回歩いたり
このように文章にすることで思い出せたこともいくつかありますね。
本来、過去ではなく現在や未来を語るべきなのでしょうが
年齢を重ねるとつい、過去を振り返ることが多くなってしまうのも
年寄りの悪しき弊ですね。
by そらへい (2015-11-16 20:21) 

そらへい

yorikoさん
こんばんは

20年前、yorikoさんが西荻窪のどの辺を歩かれたか知りませんが
私もさかき珈琲店の跡を探している時、
数件骨董店を見つけて、骨董店の多いところだなぁと思いました。
実際、さかき珈琲店の跡も、骨董店になっていました。
ただ、私が住んでいた頃は、あまり気づかなかったような気がします。
と言うか、骨董に興味がなかったので気づかずに通り過ぎていたかも。
荻窪も、今回行きたかったのですが、時間がなくて
駅を降りることも出来なかったのは残念でした。

by そらへい (2015-11-16 20:27) 

そらへい

きよたんさん
こんばんは

コメント、niceありがとうございます。
記憶のコツは反復なので
たぶん、私は何度も西荻や東京生活を反芻しているのだと思います。
きよたんさんも中央線沿線お住まいでしたか、
私のブログ読んでいただいている方、
中央線沿線に縁のある方が多くて驚きます。
浅川マキさん、亡くなられましたね。
中古のオープンリールテープデッキを買ったら
浅川マキさんのライブ録音がテストテープに入っていて
久しぶりに耳を傾けました。


by そらへい (2015-11-16 20:32) 

そらへい

駅員3さん
こんばんは

ジモティ?
そんなツールがまたはやりだしているのですね。
そうですね、駅員3さんにも西荻、縁のあるところでしたね。
今回久しぶりに歩いて、そして文章にしてみて
改めて、西荻時代に知り合った方々との交流が思い出されて
幸せだった感慨に耽っています。
by そらへい (2015-11-16 20:38) 

lequiche

物豆奇のある道は、用事があるのでときどき通ります。
でも物豆奇には入ったことないので、今度入ってみようかなぁ。
アケタの店ってまだ変わりなくあるんですね。
西荻は小さくまとまった街で雰囲気が好きです。
by lequiche (2015-11-17 13:09) 

yoko-minato

なつかしい街で懐かしい建物に出会えたり
すっかり変わってしまっていたりと思いは様々も
行ってよかったですね。
まだ残っている風景があるのは嬉しいでしょう!
でもよく覚えていらっしゃいますよね。

by yoko-minato (2015-11-18 11:43) 

U3

わたしは阿佐ヶ谷に以前勤めていた会社がありました。
by U3 (2015-11-18 12:20) 

ken

そういえば、長野から京都へ戻った時に学生時代を思い出して
思いでのあたりをうろちょろしていました。
東京の西の方はいいですね、なんか感じがいいです。
自分はいつも葛飾とか江戸川とか安達 台東荒川 あたりを
うろちょろしています。
by ken (2015-11-18 22:09) 

そらへい

lequicheさん
こんばんは

西荻にお住まいなんでしょうか。
物豆奇のある通りは伏見通りと言うそうです。
私は時間も余裕もなくて入れませんでしたが
物豆奇、是非立ち寄ってみてください。
本当に、西荻は穏やかで住みやすい良い街でした。
by そらへい (2015-11-19 21:57) 

そらへい

yoko-minatoさん
こんばんは

建物は変わっても通りの雰囲気はあまり変わっていないですね。
東中野など今でも住めそうな気がしました。
東京を離れて今回初めて訪れたわけでもないので
記憶が繋がっているのだと思います。
前回や前々回に訪れたとき、すでになくなっている建物
それから今回訪れてなくなっていた建物
もう次があるか分かりませんが、
これ以上確認しても無意味かも知れませんね。
by そらへい (2015-11-19 22:01) 

そらへい

U3さん
こんばんは

阿佐ヶ谷ですか。
あの近辺では一番行かなかった街ですが
それでも、南口の長い商店街を
歩いた記憶があります。
by そらへい (2015-11-19 22:04) 

そらへい

kenさん
こんばんは

学生時代を京都で過ごすと言うのもいいでしょうね。
私は近すぎて敬遠しましたが趣のあるところが多くて
小さいけれど東京に匹敵するのではないかと思います。
kenさんがおられたあたりは、あまり行く機会がなかったですね。
東京は広くて、本当はいろんな街を知りたかったですが
不可能ですよね。
by そらへい (2015-11-19 22:09) 

U3

そらへいさん、再びこんばんは。

わたしのすぐ後にnice!亡者の「さらまわし」が来ていますね。
この人物はお礼nice!が欲しいだけの人物です。
お気を付け下さい。
そのうち「毎回楽しく記事を拝見しています」などという嘘を言って読者になれと言って来ます。
このさらまわしという人物はnice!だけが欲しくて記事を見ても居ないのにこんなコメントを多くのブログに貼り付けているのです。
でもnice!返しをしなければそのうち来なくなります。
所詮そんなnice!漁りしか興味の無い人物です。
あなたのためとは言いませんし、ご判断はお任せいたしますが、関わらない方が不快な思いをしないで済むことだけは確かです。

失礼を顧みずご忠告申し上げました。悪しからず。

by U3 (2015-11-19 23:32) 

そらへい

U3さん
こんばんは

ご忠告ありがとうございます。
私は鈍感なせいか今のところ気にしておりません。
so-netブログにはnice機能があるので
niceを集めておられる方があるかも知れませんね。
実害が無い限り、それも良しかも知れません。
世の中と一緒でいろんな方がおられて
良いのだと思います。
by そらへい (2015-11-21 16:59) 

b.b.mk2

荻窪ってこんな感じだったのですね。
昔の風か伊勢正三の曲で ♪ 荻窪二丁目裏通り、カレーライスの匂いがいつか、僕の心を・・・っていう一節があったのですが、人が暮らす感じがその歌どおりだなと拝見しました。
by b.b.mk2 (2015-12-06 17:00) 

そらへい

b.b.mk2さん
こんばんは

西荻窪の北口、荻窪の南口、心に残る風景があったのですが
今回時間の関係で歩けませんでした。
とくに荻窪の南口はのどかな風景があったのですが
たぶん、今はマンションなどが建ち並んで存在していないでしょうね。

by そらへい (2015-12-07 21:35) 

hypo

たまには思い出にふけるのも良い物ですね~楽しく読まさせてもらいました。
ところで東中野ではどのようなアパートにお住まいになられていたのでしょうか…近くに住んでいるので気になります^m^
西荻は美味しいパン屋さんやケーキ屋さんが有るのでたまに行きます、今も良い街ですね!
by hypo (2015-12-08 16:57) 

そらへい

hypoさん
こんばんは

歳を取ると、未来の展望がないので
つい過去に耽りがちになりますね。
いけないなと思って現在を見回してもみても
相も変わらぬ日常ばかりです。
東中野にお住まいですか。
北口新宿よりの出口から出て少し歩いたところでした。
もうありませんが、木造二階建てのぼろアパートでしたね。
今は鉄筋のマンション風に変わっていました。
過ぎてしまえば、懐かしい思い出です。

by そらへい (2015-12-10 19:58) 

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