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みんな一緒に咲きました [自然]

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 春を越えて初夏のような陽気が続いたのでサクラが一気に満開になりました。27日、我が家のサクラ開花宣言、翌28日三分咲き、そして昨日29日は七、八分咲き、今日はとうとう満開になりました。

 まだ蕾の頃、珍しくイカルが来ていました。写真を撮ったのですが逆光でシルエットになってしまいました。向こう側に回るには花の下を通らなければなりません。逃げられてしまいました。

 その後、シジュウカラの番が春の歌を歌いに来ていました。花が咲き出すと、今度はヒヨドリが頻繁に来て、花の密を吸っています。

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 今年は、寒さが厳しかったあと一気に暖かくなったせいか、まるで北海道みたいにいっせいにいろんな花が同時に咲いています。

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 庭のサクラとツバキ

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 畑の菜の花


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 春はやっぱりタンポポ


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 ウメも若葉が出ていますがまだ花が咲いています。

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 峠を過ぎたウメとサンシュユ

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 幼稚園のハクモクレン

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 ハクモクレンよりいつもは少し早いコブシもまだ咲いていました。

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 ユキヤナギ

 花に気を奪われて、背景を入れるのを忘れました。

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 ネコヤナギ こんな風になるのですね。

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 カキドオシだと間違えて覚えていた土手のムラサキゴケ

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 ヒメオドリコソウたち

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 庭のキンモクセイのそばで毎年咲く自然生えのスイセンも今年は満開のサクラといっしょです。

 職場の庭でも例年ならアンズが散り、その次にハクモクレンが散ってからサクラが咲くのに今年はいっしょに咲いていました。


 明日は我が家の庭で同級生数人と花見の予定です。皆の都合を合わせて明日にしたのですが、絶好のタイミングになりました。今夜、よほどきつい風雨でもない限り明日も満開でいてくれると思います。

 夜は我が部屋で酒盛りになります。普段は人が来ない我が部屋、散らかり放題だったので慌てて掃除をしました。こんなことでもないと、なかなか掃除をしないのでちょうど良い機会でした。

 狭い部屋、オーディオやレコードなど物の多さは今更どうしようもありません。何とか押し分けて4.5人が座れるスペースを作る事が出来ました。


 今夜のEEthel Ennis(エセル・エニス)です。初めて彼女の声を聞いたとき、なんて可愛らしい歌い方なんだと思いました。全然知らない歌手だったので、大発見したみたいにあまり多くないレコードやCDを集めたことがあります。知る人ぞ知る歌手です。歌はしっとり情感があります。



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2日目午後、谷中~早稲田 [旅]

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 このまま一気に春が進むかと思ったのですが、さすがにそうは問屋が卸してくれませんでした。雨が続き気温は下がり、最後には強い風が吹く春の嵐になりました。関東地方では霙や雪も降ったそうです。

 撮り忘れていた近所のウメやサンシュユ、雨が上がった日の写真です。風雨にもめげずなんとか残っていてくれました。どなたかのブログではもうコブシが散った情報がありましたが、幼稚園のコブシはまだ蕾が開きかけでした。

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 我が家の桜です。雨の間にも蕾がどんどん丸くなって、雨が止んでここまで膨らんで来ました。どの枝にも大きな蕾があって、今年は花付きが良い予感がします。


 


 メイドさんの奇妙なお喋りを背に、秋葉原を後にした私はそのまま山の手線に乗って日暮里に向かいました。日暮里に降りるのは二度目です。

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 若い頃にシャルマンと言うジャズ喫茶を訪ねて初めて日暮里に降りました。その時、一度行っただけなのに歩いた日暮里の情景が何度も鮮明に蘇るのでした。

 夕方だったと思います。お寺の影が通り沿いにいくつもありました。長い階段を降りるとちょっとした広場があって、左手に狭い商店街がありその入り口あたりにシャルマンがあったと記憶していました。


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 有名な夕焼けだんだんです。私の記憶ではもう少し長くてゆったりした階段だったように思うのですが、行ってみると思ったより短くて急な階段でした。階段を降りて左手に伸びていたと思った谷中銀座の商店街は、階段を降りた真正面にありました。

 
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 階段の下から見上げた空の夕焼けがきれいなので、夕焼けだんだんと名付けられたのだと、私のそばを歩いていた男性が隣の女性に語っていました。

 あいにく時は真昼間、仰いだ空にはきれいな青空が広がっていました。夕焼けだんだん、ほのぼのとしたいい名前ですね。昔、私がこの階段を降りた頃はまだそんなしゃれた名前は付いていなかったと思います。

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 谷中銀座、商店街の通りとしては短いものですが平日にもかかわらずけっこう賑わっていました。ものを頬張りながら歩く人たち、店先を冷やかしていくグループ、お昼時とあって天ぷら屋さんに行列が出来ていたりしました。

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 シャルマンを探して何度も行き来する間、この方はずっとこの格好でした。誰も気にしないところを見ると寝ているだけなんでしょうね。

 商店街に入ってすぐにシャルマンがあったと思うのですが、何度谷中銀座を行き来しても見つかりません。昔は二階建ての一階が喫茶、二階がスナックだったらしいのですが、今では二階でジャズバーとして夜だけ営業を続けているはずです。

 夜は慎介選手の試合があるので来ることは出来ないので、昼間、その店先だけでも見てみたいと思って訪ねたのでした。

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 何度も行ったり来たりするのに疲れて、あきらめて帰ろうとしたとき、夕焼けだんだんと谷中銀座のアーチの間にある建物のシャッターの前にこの小さなプレートが掛かっていました。光って見にくいですが、シャルマンのマッチデザインと同じです。

conv0009.jpg ジャズ喫茶「シャルマン」のマッチ




 「シャルマン」のプレートを見つけて納得した私は、そのまま西日暮里まで歩くことにしました。朝肌寒く感じたお天気も、天気予報通りの好天に気温をどんどん上げていました。薄着にして正解でした。

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 狭い通りを歩いていると路地の奥に昔懐かしいアパートの建物がありました。ふらっと入っていったら中から髪を伸ばした汚い格好の友人が出てきそうです。いや、あの雨戸の閉まった部屋がかつての私の部屋かも知れません。

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 「右やなか」の道標

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 正面にまわると「ろくあみだみち」と読めます。私が歩いている狭い道がその道のようです。

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 東京のどこにでもある路地、中野や西荻窪と変わりません。

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 建物に囲まれた小さな公園、平日の昼間のせいか遊ぶ子供の姿はありません。

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 東京でよく見かけるお蕎麦屋さん、お昼を過ぎていたので入ろうかと思いましたが高そうなので通り過ぎることにしました。

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 パン屋さんの二階で落語演芸をやっているのでしょうか。何気ない街中にこういうところがあるのが、いかにも東京らしいですね。東京の懐の深さを感じます。

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 またしても懐かしいアパートの建物。意外と残っているものです。今ではどのような人が住んでいるのでしょう。貧乏学生、生活より夢を追っている若者、それとも外国人、独居老人でしょうか。


 西日暮里から都電荒川線に乗るために三ノ輪駅を目指したのですが、これが失敗でした。ずいぶん歩くことになってしまいました。

 歩いていると線路沿いに公園があり、公衆トイレがありました。ちょうど用を足したかったので入ってびっくりです。以前の汚い公衆トイレのイメージと違うのです。室内も便器もきれいで人が離れると自動的に水が流れるセンサーまで付いていました。

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 三ノ輪の駅に着いてやっと都電に乗る事が出来ました。都電でもICカード(私はJR西日本なのでICOCAなのですが)使えるのですね。しかも普通なら170円がICカードだと165円だそうです。

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 乗った電車は外観も車内も新しいデザインの車両でした。すれ違う電車に旧タイプの色使いのものがありましたが車内はわかりません。その電車は確か貸し切りと表示されていました。

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 都電に乗るのはやはり若い頃に乗って以来です。その時は大塚から西ヶ原四丁目まででした。ですからこんな一般道を他の車といっしょに走るところがあるのは知りませんでした。京都の市電を思い出します。

 景色に気を取られて写真を撮り損ねたのですが、軌道が坂道になっているところがありました。雑司ヶ谷から鬼子母神前あたりだったかと思います。

 ずっと昔、和久井映見だったか仁科明子だったかが主演した単発もの青春ドラマがあって、その舞台が都電荒川線沿線でした。ドラマの中で都電が波打つ線路を走る映像があって印象的でした。ここだったのですね。

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 三ノ輪駅から早稲田まで所要一時間弱、165円の路面電車の旅を堪能して終点早稲田に着きました。

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 早稲田駅を降りて、さてどうしたものかと思いました。時刻はもう3時です。ボクシングの応援に来ている同級生たちは4時に両国に集まるようになっています。私は4時から5時の間に行くと言ってあったのですが、5時としてもそれほど時間があるわけでもありません。

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 早稲田から最寄りの地下鉄やJRに行くにはどういけば良いのだろうと思いながら、あてもなくひとつの通りに入っていったところ、通りの左手になんと一件のジャズ喫茶を見つけました。NUTTY、ここは私の頭に入っていなかった所です。時間ありませんでしたが迷わず緑色のドアを押しました。

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 中はそんなに広くはないけれど、20席ほどあって中年男性が5.6人、ジャズに耳を傾けていました。今時のジャズ喫茶にしては大きな音が流れています。

 サランネットを外した大きなスピーカーはJBL4331Bです。いい音がしてましたね。耳に優しい高音が印象的でした。

 入った時はコンボの曲がかかっていましたが、ビル・エバンス・トリオになりました。ベースのソロに耳を澄ませていると、学生二人組が入ってきてリクエストをしました。デューク・エリントンの極東組曲です。

 この曲が終わったら席を立とうと決めたのですが、これが組曲と言うくらいなのでなかなか終わりません。曲が終わる頃、時計は4時を回ってしまいました。

 学生さんはやはり早稲田の大学生でした。曲が終わるとマスターが、今度この曲をハイソサエティが演奏するので皆さん聞きに行って下さいと客に紹介していました。

 店を出た私は、もたもたしていると5時にも間に合わない気がしました。早稲田からどのコース辿れば最短で両国に着けるか思案しました。歩いて道に迷うとドツボに嵌まるので、安全策をとって大塚まで都電で戻り、そこから山の手線で秋葉原へ出て総武線に乗り換えることにしました。

 山の手線に乗っているとき、LINEに両国駅近くのレストランに集合していると連絡がありました。秋葉原に着いて、総武線のホームで電車を待ちながら何とか5時までに着きそうだとほっとしていると、大事な忘れ物に気づきました。

 なんとボクシング会場、両国国技館の入場券、ホテルに置いてきた鞄に入れてあったのです。とりあえずそのまま両国まで行って、皆が集まっているレストランで落ち合いました。

 事情を話して慌ててホテルに戻りました。皆は両国国技館近くのホテルに泊まっていましたが、私はブックマークで最安値を選んだので距離がありました。

 もし、皆といっしょに食事をして7時過ぎに会場入りしようとして、そこでチケットがないことに気づいてホテルに戻っていたら、この間の試合なら間に合わなかったかも知れません。 


 今夜のEEarl Hines(アール・ハインズ)です。この演奏はジャズ初期のストライドピアノの面影が色濃く残っている気がします。
 1970年代に来日した時、聞きに行きました。サッチモを思わせるエンターティナー振りでした。彼が連れてきていた無名の女性シンガーが印象的でしたが、その後さっぱり名前を聞かないので無名のまま終わったのでしょうね。


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春、日本橋~秋葉原 [旅]

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 寒かった今年の冬でしたが、3月に入ってしばらく、季節をめくるみたいに一気に春がやってきました。とくにここ数日の暖かさは3月を通り越えて4月、5月の暖かさだったそうです。

 暖かい日差しに重ねて着ていた衣服を脱いで、身も心も軽くなります。縮んでいた身体を思いっきり伸ばします。屋外に出てみると春の風が頬に心地良いです。

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 ホトケノザ

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 タネツケバナ

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 ヒメオドリコソウ

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 ナズナ(ペンペン草)

 いつも少し春の訪れが遅い我が里山もいっせいに春の野花が咲き出しました。写真を撮り忘れましたが、近所のウメとサンシュユも咲いています。

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 家のサクラの蕾ももう色が見えるところまで進んでいます。昨日、高知では平年より一週間早いソメイヨシノの開花宣言があったそうです。

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 休耕地のツクシの群れ、ツクシは荒れ地に生えるそうです。ツクシがこれだけあると言うことは、スギナがはびこると言うこと、暖かくなるのは嬉しいけれどこれからの草の始末が思いやられます。




 さて、東京2日目です。夜というか朝方雨嵐だったそうですが私はホテルでぐっすり眠っていたので全然気づきませんでした。2日目は雨の覚悟をしていたのですが、明け方のうちに雨雲は去ってしまったようです。

 ホテルサービスの朝食をとって外に出ると道路は黒く濡れていて雨がそんなに前のことでは無いことを教えてくれました。

 その日は気温が高くなる予報が出ていたので薄着で外出したのですが、少し肌寒かったです。とくに地下鉄通路はずっと風があって、もう一枚着てくれば良かったと思いました。

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 最寄り駅、永田町には半蔵門線、銀座線、南北線が連絡しあってます。慣れない田舎者、長いホームを引きずり回されて銀座線で京橋まで出ました。昨夜の続きみたいですが銀座ではなく、若い頃2年ほど勤めていた日本橋に向かいました。

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 その頃利用していた東西線日本橋駅の近くの交差点に「ここ滋賀」がありました。我が滋賀県のアンテナショップです。去年の10月29日オープンなのでまだ出来たばかりのようです。このあたりには、かつてチケット販売で有名だった赤木屋があったと思います。

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 初めて日本橋を渡ったとき、頭上に不粋な高速道路が覆い被さっているのに驚いたものです。この光景は田舎から来たものを幻滅させる東京名所の最たるものでしょうね。高速道路を移転させると言う話を聞いた事がありますが、いつ頃実現するのでしょうか。

2018-03-01 10.19.02.jpg 近くには東京西川や野村證券、スルガ銀行など見覚えのある名前がいくつかありましたが建物は当時のままかわかりません。

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 日本橋三越前です。この横断歩道を渡った先にある通りに私が勤めていた職場がありました。

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 三越向かいのこの通りを少し入った先にあったのですが、もちろん今はその建物を見つけることは出来ません。通りの雰囲気はあまり変わっていなくて、通り沿いにはかすかに記憶のあるお店が数軒ありました。

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 引き返して中央通りに戻りました。左手に見えるのは三井ビルです。毎日、夕方になると舗道に溢れるオフィス帰りの人群れに逆行するように、このビルの中にある会社に向かいました。その時間から残業する仕事をもらいに行くのです。

 古い建物だったので、廊下は狭く低い天井には配管が走っていました。オフィスも狭く暗かったと思います。担当の方の名前は忘れてしまいましたが、若い私に優しく丁寧に説明してくれるのでした。


 神田駅はガード下にあり、昔と同じ雰囲気でしたがずっと洗練されてきれいになっていました。山の手線で秋葉原に向かいます。

 当時は給料日なると仕事を早めに切り上げさせてもらい、秋葉原へ直行していました。買えもしないオーディオショップを冷やかして回り、最後にレコード店に寄って1枚か2枚のレコードを探して帰ってくるのでした。

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 秋葉原は、もうすっかり昔の姿が想像できない街になっていました。電気街の名残は路地のパーツ屋さんにあるだけで、どこを見てもホビーショップやゲームなどのサブカルチャーの街になっていました。

 試しにラジオ会館に入ってみましたが、オーディオ店は一軒だけ中古店があったきりでそれがひどく場違いに思えるのでした。秋葉原はどこへ行っても外国人の客が多かったですね。

 以前は上京するたびに秋葉原には寄っていました。オーディオ熱が冷めるとともに街は家電やパソコンが幅を効かせていました。しかし、今やそれらさえ片隅に追いやられているのです。こことおぼしきところに石丸電気の看板も見つけられませんでした。以前来た時はまだあったのです。

 お昼時、メイド喫茶のコスチュームを着た女性たちが呼び込みをしていました。その奇妙な声と語りを背に私は秋葉原を後にしました。


 今夜のEEric Dolphy(エリック・ドルフィー)です。流し聞き出来ないのであまり聞く機会はないのですが、私の中ではジャズはエリック・ドルフィーまでです。
 


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東京初日は銀座シグナスで [旅]

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 京都を走り出してしばらくすると新幹線の車窓に息吹山が飛び込んできました。車窓いっぱいに見えたのは、雪を戴いていたからでしょうか。上の写真は少し遠ざかってからスマホで撮ったものです。

 2月28日、山中慎介選手を応援するため上京しました。それだけなら3月1日で良かったのですが、例によってせっかく上京するなら東京を楽しみたいと思い一日前乗りです。

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 富士も何とか見えました。空はあいにくの曇り空です。明日は雨の予報、そう言えば去年3月の試合も同じ両国国技館で雨の日でした。

 新幹線がスピードを落として東京駅へ滑り込んでいきます。若い頃、いろいろな思いを胸にこの瞬間を迎えたものです。あの頃、東京に来るのではなく東京に戻るのでした。

 中央線に乗って、四ッ谷に向かいました。東京ブックマークで予約してあるホテルに向かうには、地下鉄の方が便利だったのですが、まずジャズ喫茶いーぐるに寄ってからホテルに回ることにしました。

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 3年前に来た時はGPSに惑わされて探しましたが、今回は迷わず行くことが出来ました。壁にはめ込まれたJBL4344 MarkⅡ、相変わらずご機嫌な音で鳴っていました。

 お昼時、ちょうどお腹が空いていたので前回食べておいしかったパスタを頼みました。3年前は帰る日でした。ゆっくりしていたら、妻から電話が掛かってきて何時に帰ってくるのか催促され慌ただしく席を立ったのでした。

 今回は今日が初日、時間はたっぷりあります。新幹線からここまでの疲れもあったのでゆっくりしました。ジャッキー・マクリーンのアルトサックスが気持ち良かったです。

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 四ッ谷からホテルまで少し距離がありましたが歩きました。チェックインを済ませ室内で荷を下ろすと、なんだかほっこりしてしまって少し寛いでしまいました。

 慎介選手の応援以外に、去年、再会した友人夫妻と今度はゆっくりお酒でも飲みながら来し方のことなどを喋りたいと思っていたのですが、28日は向こうに先約があって会えなくなってしまったのです。

 27日を提案されましたが仕事とブックマークの予約に縛られて変更は不可能でした。その落胆が今回の東京行きに少し影をもたらしていました。

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 地下鉄に向かう通り沿い、東京ガーデンテラス紀尾井町、この古い洋館は何というのでしょう。夜はライトアップされてました。向かいには麹町中学があり、静かな通りに時折きれいな車が行き交っていました。

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 歩道橋から見下ろした首都高速4号線と青山通り

 とは言え、せっかく来た東京です。楽しまないわけにはいきません。行き先にいろいろな候補があり迷いましたが、久し振りに渋谷に出てみることにしました。渋谷はこの三度の東京詣で一回も行っていません。と言っても私が行くところはジャズ喫茶くらいしかありません。

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 メアリー・ジェーンです。渋谷で古くから残っているのはここ一軒だけかも知れません。1972年創業だそうです。私は24.5歳の頃行った記憶があるのですが、その頃はまだ新しいお店だったのです。

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 店内は私の記憶では明るくて、もっと広かったように思うのですが、実際はこじんまりして年月の渋みが出た佇まいになっていました。二階の窓のある風景に記憶が蘇ります。

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 渋谷は工事だらけとは聞いていましたが、駅を降りたとき自分がどこにいるのかわかりませんでした。幸いメアリー・ジェーンは駅から歩いて5分ほどの近くにありましたが、もう一軒は遠そうです。

 ぐるぐる歩いてやっと大盛堂書店の看板を見つけました。それにしても渋谷の賑わいは凄いですね。スクランブル交差点で待っていて、信号が変わると向こうから一団の人がいっせいにやってきます。軍隊が押し寄せてくるような錯覚を覚えました。

 中心街のきらびやかなネオンサインと人の群れから次第に遠ざかって、薄暗く人通りがまばらになった通り沿いのビル4階に渋谷SWINGがありました。

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 以前あった渋谷スイングとは関係の無いお店だそうです。落ち着いた緑に統一されたいい雰囲気のお店でした。マスターは大柄でまだ40歳前後の若さに見えました。私が頼んだコーヒーを時間をかけて丁寧に入れてくれたのが印象的でした。

 先客は女性が一人、その客が帰ったと思ったら若い男性客が二人、別々に入ってきてカウンターに座ってお酒を注文しました。一人は馴染みのお客なのか、マスターはお喋りしながら注文されたお酒を丁寧に作っていました。

 私もお酒を飲んでも良かったのですが、次があるのでコーヒー一杯だけにして出てきました。そのお店が駅から思ったより遠かったので時間を食ってしまいました。

 慌てて渋谷駅に戻り、山の手線で新宿へ。さすがに新宿は昔の庭、すぐに東口に出て前回行けなかったカレーの店ガンジーへ直行です。

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 ご飯時は過ぎていたのですが賑わっていましたね。窓辺の端っこの席でビーフカレーを食べました。濃厚で後から辛みがじわっと効いてきました。

 新宿に来たのならDUGにも寄りたかったのですが、時間が無いので今回はガンジーだけにして再び電車に乗って新橋に向かいました。

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 向かったのはこちらです。ライブスポット銀座シグナス、ブログでお付き合いしているジャズピアニスト小野孝司さんが出演されているので、行ってみることにしました。

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 着いた時間が遅かったのですでに第二部が始まっていました。ピアノトリオにバイオリンとチェロの弦楽器が加わった珍しい構成のクインテットです。入った時、枯葉の演奏の途中だったと思います。

 ジャズを聞きに来たのにバイオリンとチェロの音色にうっとり、ピアノトリオだけの演奏もあって何度もおいしいライブでした。

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 水割りをいただきながら久し振りのライブにうっとりしていました。この夜はセロニアス・モンクの曲が多かったように思います。

 MCは小野さんでした。私の席は小野さんの真後ろでした。ひとつ上の写真で言うと、画面左端、ピアノの前で右肩だけが見えている方です。

 お店は高級感があって、ライブが楽しめるゆったりした広さがありました。客席にはジャズ喫茶と違って女性客が多かったのも印象的でした。

 演奏が終わって、帰りがけ小野さんに声をかけようかと思いましたが、美しい女性とお喋りされていたので遠慮して新橋の街に出ました。

 さすがサラリーマンの街、舗道に溢れるネクタイ姿の酔客、道路にはそんな客を待つタクシーの列です。お店からきれいなドレスや着物を着たお姉さん方がお客を見送りに出ていたりして、ちょっと華やかな雰囲気、普段はなかなか歩けないところです。

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 当てずっぽうに歩いていたら銀座に出ました。10時過ぎ、まだどこかに行けそうでしたが明日は愼介君の試合です。地下鉄に乗ってホテルに戻りました。ホテル前にあるコンビニで酎ハイとアテを買い込んで部屋で一杯、私の東京の初日は終わりました。



 今日のEErroll Garner(エロール・ガーナー)です。彼は楽譜が読めず独学でピアノを習得したそうです。
 曲は彼自身が作曲した名曲Mistyです。ナイトクラブで恋人同士が語らいあっているシーンに流れているようなムードのある曲ですね。



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ボクサー [その他]

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 3月1日、山中慎介選手の応援に東京へ行ってきました。例によって、慎介選手の父親の同級生一団といっしょに両国国技館に集合したのですが、結果は皆さんご存知の通り残念なことになりました。

 満員の両国国技館は、普段にもまして慎介選手の応援が多く、対戦相手のネリ選手が登場すると、会場はブーイングの嵐でした。私の後ろで帰れと叫ぶ人も何人かいましたね。

 普通はいくら贔屓選手の対戦相手と言っても、敬意を払って拍手が起こるのですが今回は一切ありませんでした。と言うのも、ネリ選手は前回、薬物違反騒動を起こしている上に、あろうことか今回は試合前軽量で体重オーバー、タイトルを剥奪されてしまったのです。

 この情報が2月28日に入ったとき、え、試合はどうなるの、と思いました。私はすでに上京していたのですから。試合が中止になると思ったのでした。

 結局試合は挙行され、ネリ選手は王座剥奪、慎介選手は勝てばチャンピオンに返り咲くことが出来ると知って少しほっとしたのでした。

 それにしてもボクシングの体重制を覆す暴挙です。ネリの体重は一階級上のリミットさえ超えていたそうです。これでは体重制の意味がありません。

 負けてから言うのも何ですが、本当は試合をしなかった方が良かったのかもしれませんね。テレビの放映権の損失や入場料の払い戻しはルール違反を犯したネリ選手が負担すれば良いのです。

 もっと遡って、薬物違反が発覚した時点で、あの試合は無効試合になっても良かったのではないかと思います。何せ、ネリはルール違反をしているのですから。


 試合前、リングアナウンサーはネリ選手が体重オーバーによって、王座を剥奪されたことを説明し、前チャンピオンと紹介してました。

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 この時点では慎介選手、会場の雰囲気を察してか余裕あるように見えます。アメリカのボクシング誌が慎介選手に贈ったチャンピオンベルトが高々と掲げられています。


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 こんないい加減な選手、慎介選手の神の左で成敗して欲しいと誰もが思ったのですが、現実の世界は物語のようには行きませんでした。試合が始まって1ラウンド後半、慎介選手早くもダウンを奪われてしまいました。

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 慎介選手の試合の時、東京でも大阪でもいつもこのラウンドガールです。嫌な予感がしていつもより早めに彼女の写真を撮ったのですが、なんとこれが最後になってしまいました。

 2回1分2秒TKO負けです。会場で見ていても足に来ているのがわかりましたね。あまりにもあっけない幕切れでした。まだ前回のタオルを投げられた試合の方が、形をなしていた気がします。

 私たち親父の同級生応援団は、勝っても負けてもこれが最後という気持ちで応援に行ったのですが、それが本当になってしまいました。試合後、慎介選手は引退を表明したそうです。

 遅咲きのチャンピオンだっただけに12連勝のうちに歳を重ねてしまった面もあるとは思います。タイトルを守り続けることの疲労もあったのではと思います。

 とくに最後のネリ選手と対戦するようになってから、何かが狂ったように運命にもて遊ばれました。前の試合、慎介選手は勝って引退することを考えていたそうです。

 ネリ選手の薬物違反が発覚して、その処遇が長い間はっきりしませんでした。その間、慎介選手は宙ぶらりんの状態に長く置かれました。

 やっと対戦が決まって、リベンジの思い強く臨んだところ、今回の体重オーバーですからね。負けは負けにしてもなんとなくしっくりしない面もあると思います。

 勝負の世界は厳しいもの。勝たなければいけないのですが、この試合にかけた彼の気持ち、努力を私たちは知っています。

 私たち慎介選手の父親同級生応援団は、彼のおかげで東京に何度も行くことが出来ましたし、京都や大阪の会場にも足を運ぶことが出来ました。彼の活躍が無ければ、ボクシングの試合を楽しむことなんてことは無かったと思います。

 彼を魚に、彼の親父の同級生たちが酒を飲んでいるなんて話もあるくらい、同級生たちも彼のおかげで楽しみ、盛り上がりまとまることが出来たのだと思います。彼もまた、我々の集まりに顔を出してくれたこともありました。

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 ともかくお疲れ様、そしてありがとう。山中慎介チャンピオン。


 


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