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春祭り [地域]

 長い間、床に伏せっている病人が、祭り太鼓の音を聞いて「ああ、今年もお祭りの時期が来たのか」とつぶやくシーンが連想されるような祭り太鼓の音が5月1日、狭い旧道沿いの家並みに響いていました。

 家々からは人が出て神輿が来るのを待っています。中学の青い体操着を着た子供たちが首から小さな賽銭箱をぶら下げて一軒一軒回っていきます。

 人々はあらかじめ用意してあった賽銭を子供たちが差し出した賽銭箱に入れます。子供会主催の神輿渡御、その賽銭がこの一年の子供会活動の原資となるのです。

 以前、我が組の宮守当番のことをブログにアップしました。それから3年、今年は組長の役で春祭りの神輿渡御に参加することになりました。

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 4月30日、宵宮です。拝殿に神輿が祀られ各組の人たちが籠堂でお弁当を食べたり、お神酒を戴いたりして祭りの前の夜を過ごします。

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 翌朝、準備が整って出陣を待つばかりの神輿。祭礼の準備は宮守、神輿の準備は子供会と役割分担されています。渡御に関わる休憩地での接待などは子供会の役員さん、神輿渡御中の交通整理は地元の消防団がやってくれます。

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 11時過ぎ、授業を早く終えた子供たちが集まってきました。子供の数はご多分に漏れず減少の一途だったのですが、数年前地域の一角に新興住宅地が出来て子供の数は盛り返しています。

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 市内全域、祭りは5月1日です。私たちの学区には6つの集落がありそれぞれに神社があります。しかし、神主は一人しかおられないので、普段の祭礼はともかくお祭りは同じ日と時刻なので掛け持ちが出来ません。お祓いや祝詞などの儀式一切は、各組から選ばれた総代さんが務めます。

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 かつては私たち組長が神輿の担ぎ手でしたが、こちらも高齢化、もう10年ほど前から神輿は台車に乗せられて引かれることになりました。風情は削がれますが担ぎ手としては助かります。

 集落6カ所の祭りを一カ所でまとめてするようにすればもう少し人出も集まって、賑やかなお祭りになるのではと思うのですが、それぞれの地域の事情もあるのでそういうわけにもいかないのでしょうね。

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 車輪があるので坂道などで暴走しないように支えているだけです。ただ役割上、神輿のそばを離れられないので自由に写真を撮ることが出来ませんでした。ここからの写真がほとんどありません。

 神社の石橋を渡って、急な坂になった参道を降りたところにある鳥居の前で、近所の幼稚園児が迎えてくれます。その幼稚園児の集団の中に、6歳と3歳の孫がいたのですが手を振るのが精一杯でした。二人とも私の姿を見つけていたようで、下の孫は一人だけ立ち上がっていました。

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 最初の休憩です。この日は30度近い天候でしたので、子供たちも少々バテ気味に見えます。この後、お昼休みと二カ所の休憩を挟んで3時過ぎまで集落内を歩きました。

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 終点の体育館です。ここで神輿はトラックに乗せられて神社に戻されます。

 集落を回る行程は約6キロほどでした。私のスマホの万歩計は甘めですが16,000歩ほどになっていました。渡御を無事終えて、みんな早く家に帰って寛ぎたかったのですが、子供会の役員さんがねぎらいの直会を用意してくれていたので公民館に寄る事になりました。

 そこでビールなどを戴きながら、暑かったけれど雨降りよりは良かったねなどと談笑しながら小一時間を過ごし、今年のお祭りもお開きとなりました。


 今夜のジャズは、Fが人出不足なのでGに移ることにします。Gの最初はジャズのお祭り、実際は葬列で演奏されたデキシーランドジャズのGeorge Lewis(ジョージ・ルイス)です。

 1,940年代、ミシシッピ川波止場の荷揚げ人足をしながら音楽活動をしていたところを見いだされて、その後は日本にも何度も来日しました。素朴で哀愁のあるクラリネットの音色が心を打ちます。


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