6月のことになるのですが、岡山県にある誕生寺へお参りしてきました。誕生寺は浄土宗の開祖、法然上人の生誕地の寺です。五重相伝を受けて20年になり、お礼参りと言うことで企画されました。

 そのとき五重を受けた同行者は50名ほどだったのですが、今回はその半分ほどの人数の参加者でした。私たちはよそのお寺の方に比べると、若くして五重を受けたのですが、それでももう三,四名の方が亡くなっておられます。

 バス一台を借り切って、早朝7時から岡山に向けて出発しました。梅雨のさなかのこと、心配されたお天気はやや薄曇り、時々気持ちの良い風の吹くおだやかな日でした。これも、メンバーの日頃のおこない、はたまた幹事さんの精進のたまものかも知れません。

 お寺参りというと年寄りじみたイメージですが、私たちは早くに受けているので参加者の構成は40歳代から70歳あたりまで、平均年齢は50歳代だったのではないかと思います。ほとんどの方がまだ現役の方々なので日曜日に企画されました。

 以前はこういう企画があっても、子供が小さくて参加できないと言われる事があったのですが、それから20年が経ってもうほとんどの方は子供の手も離れたのですが、今度は親の介護があったり、孫の面倒を見なければいけないと事情も様変わりです。その間隙を縫っての今回の企画でした。

 また、お寺参りというと信心深いと思われがちですが、年齢構成からみても皆さんまだそれほどでもありません。これもまた世間のお付き合いの一環という感じで参加されていたように見受けました。すくなくとも私はそうでした。


 朝早く出たせいか、宝塚あたりでの渋滞に巻き込まれることもなく、11時すぎに無事、岡山の誕生寺に着きました。住所は久米郡久米町となっていますが、パンフレットには美作の国 誕生寺となっています。美作の国というと、宮本武蔵の出生地としても有名です。

 この山門は国指定重要文化財です。正徳6年(1716)建立だそうです。

 本堂です。

 私たちは回廊を通って本堂に案内されました。写真を撮ることはできませんでしたがさすがに歴史ある立派な内陣、外陣でした。そこで私たちは南無阿弥陀仏10編を何回か唱えて、ご住職の立て板に水のごとき、寺の歴史を聞きました。

 そのお話によると、この寺は源平の合戦で有名な熊谷直実が、自分の息子と同じ若さの平敦盛を討ったことから仏に救いを求め、法然上人に仕え、その命によって法然上人誕生の旧邸を寺院に改めたものだそうです。

 この鐘楼の鐘、どういう仕掛けか自動で鳴っていました。

カメラを忘れてきて画像は全てスマホの写真です。

 熊谷直実入道の腰掛け石

 境内の奥には観音堂もありました。

 そしてその横にはいくつかの像が配置されています。その中に見覚えのある像があって、もしやと思って裏に回ってみたらやはりそうでした。 

 製作 山田良定とあります。

  私は高校生の頃、美術部に属していて彫塑を専攻していました。そのときの担当の先生が「旅立ちの法然さま」の像の制作者、山田良定先生でした。

 先生は、私たちが卒業後、滋賀大教授になられました。また近江八幡市にある浄土宗のお寺の住職でもあったのです。夏休み、先生のお寺でクラブの合宿をさせていただいた思い出があります。

 私は先生に目をかけていただき、ひとかたならぬ世話になったのですが、結局期待に応えることができずただ迷惑をかけただけで終わってしまいました。そのことは私の人生の中で、いくつかある青春の悔恨のひとつです。

 先生の彫像は知っているところでは京都会館の玄関にもあったのですが、京都会館は今建替え中なので、建替え後、先生の作品がどう取り扱われるか分かりません。

 10年ほど前に、近江八幡のお寺で先生の葬儀が盛大に催されました。恩返しもできないままお別れしたのですが、60歳を過ぎて遠く岡山の地で再会できるとは思ってもいませんでした。


 誕生寺七不思議のひとつ、逆木の公孫樹です。

 参拝者を見送られる住職

 誕生寺を1時間あまりお参りして、一行は津山市へ移動、そこで少し遅い昼食を摂って帰路につきました。帰り道もひどい渋滞に捕まることもなく午後七時前には無事家に着くことができました。お寺参りと食事の2時間を除いてほぼ10時間、トイレ休憩以外はずっとバスに乗り続けの一日でした。