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紅葉の永源寺 [旅]

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 師走になりました。一緒に寒さもやってきましたね。リタイアして5ヶ月、まだ5ヶ月という気もしますが、ゆったりした時間を過ごせていると思います。

 今朝起きたら、テレビではサッカー日本代表が強豪スペインを破って、一次リーグを首位で突破したニュースで盛り上がっていました。私はサッカーファンでもにわかファンでもありませんが、選手たちの闘志と素晴らしいプレーには拍手を送りたいですね。

 穏やかな11月が続いていた中旬、良いお天気の日を選んで滋賀県東近江市にある永源寺へ行って来ました。車で一時間ほどの所です。

 紅葉の時に訪れるのは同級生たちと行って以来、5.6年振りと思っていたらなんと10年振りでした。また写真が多くなると思いますが、お付き合いよろしくお願いします。


 平日でしたが、駐車場はかなり混雑していました。旦度橋を渡り大歇橋を渡った時は、以前来た時より紅葉進んでいないと思いました。

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 ところが石段を上がり十六羅漢の脇を通って総門まで来ると、赤、黄、緑に色づいた木々が賑やかに迎えてくれました。受付で妻と二人分の入山料を払って入場します。

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 山門が見えてきました。

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 とくに山門から奥の紅葉は圧巻でした。写真を撮っていると、近くを通る老夫婦の男性が南禅寺の山門を思い出すと奥さんに言っていました。立派な山門ですが、大きさはそこまで大きくはなかったです。
 

1-PXL_20221118_040138174.MP.jpg 左の建物は鐘楼です。

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方丈(本堂)

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  この庭が、「開山御手植」というのところなのでしょうか、庭全体が真っ赤に染まってきれいでした。

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1-PXL_20221118_040014546.jpg 紅葉を十分堪能して、帰りにまた山門を見上げました。

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 瑞石山永源寺は臨済宗永源寺派大本山です。1361年に近江領守、佐々木氏頼によって創建され、兵火で焼失後、江戸時代初期(1643)に再興されたそうです。

 前回同級生と来た時は、紅葉だけでなく、永源寺の入り口から十六羅漢や経堂などを全体的に案内するページになっていました。しかし、今回は紅葉に見とれてしまいそんな余裕がありません。せっかく良いときに来たことでもあり、ページを真っ赤に染めてみることにしました。


 枯葉、いつまで続けられるでしょうか。家の桜もすっかり葉を落とし冬の佇まいです。今のうちに、お気に入りのピアニスト、ウィントン・ケリーのAutumn Leavesをアップしておきます。彼の軽快で弾むようなピアノが好きです。あまり寂しくない枯葉です。



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ダム巡り再び [旅]

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 お天気の良い日が続いていたのでまたダム巡りをしてきました。前回行けなかった野洲川ダムに行きたかったのです。

 行く途中、前回裏側からしか行けなかった大原ダムに寄ることにしました。今回は山道に入る前にコンビニに寄って、お昼御飯のおにぎりやパン、飲み物などを仕入れて行きました。

 やはりナビは、手前まで行くと前回の狭い道を案内しました。無視して片側一車線の山道を進むと、道路脇にダムの石碑や案内板があり青い貯水池も見えました。

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 三脚を持った先客がおられました。私たちが入っていくと三脚ごと林の奥の方へ入って行かれました。1枚目の写真の対岸で前回はこっちを見ていたのでした。

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 望遠レンズを伸ばすと、ダム神社の鳥居が見えました。貯水池の奥の方で、とても行けそうにないと思っていたら、二人のご婦人が参っておられる姿が見えました。どこか林の中を潜って行ける道があるようです。

 お昼にはまだ少し早かったし、もう一組あとから来られて駐車スペースも狭いので、野洲川ダムで食事をすることにして大原ダムをあとにしました。

 山道を上がって国道1号線に出て鈴鹿峠の方に向かいます。途中から脇道に入って前回青土ダムから来た道を逆に辿りました。途中の分岐点で左に行くと青土ダム、右が野洲川ダムです。

 この間より同行の車やすれ違う車が多かったのは、先に鈴鹿スカイラインがあるからでしょうか。曲がりくねった坂道をどんどん上がっていきます。途中工事中の箇所があり片側通行していました。

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 なんとその工事の左手が野洲川ダムでした。片側通行なので車を止めるどころではありません。ダムのほとり、わずかな駐車スペースも立ち入り禁止のバリケードがあり止められません。

 少し記憶と違っていました。もう少し広くてゆったりした場所があったと思ったのですが、道路の片側はダム湖、反対側は崖でした。しばらく走っても車を止めてゆっくり見学したり休んだりする場所はありませんでした。

 山全体はまだ浅い紅葉でした。山道にかかる木々の葉が淡い黄色に色づき、光が通って綺麗でした。長いダム湖に沿って道は曲がりくねりながら上っていきます。そのまま行くと鈴鹿スカイラインです。私の車はワンボックスタイプの1200ccです。さすがにこの車で鈴鹿スカイラインを攻める気にはなれません。

 適当なところでターンして野洲川ダムに戻りました。鈴鹿スカイラインに通じている道、バイクや速そうな車が時々行き来していました。駐車スペースがないので、工事中の停止線横の路肩に車を止めて写真を撮りました。

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 ダムは渇水期で水がありません。今年はとくに10月、11月ほとんど雨降ってません。

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 アオサギが一羽飛んでいました。

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 一番高いところ、天端(てんば) と言うそうです。しかしここも立ち入り禁止になっていました。ここから写真撮りたかったのですが、仕方ありません。

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 野洲川ダムは灌漑用水用ダムで竣工が私が生まれた年と同じ1951年、かなり古いダムです。重量式コンクリートダムで高さが54メートルあるそうです。3月4月頃の放流の時は迫力あるそうです。 

 野洲川ダムでお昼を食べようと思っていましたが、車を止めてゆっくり出来るところヶありません。仕方なし、この前行った青土ダムに戻って昼ご飯を食べることにしました。


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 ところが分岐点を間違えたらしく、477号線を走っているうちに別のダム湖が右手に見えてきました。なんと思いがけず蔵王ダムに着いてしまいました。

 ここは、休憩所にトイレもあって、駐車スペースもたっぷりありました。青いダム湖を眺めながらゆっくりお昼御飯を食べることが出来ました。

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  蔵王ダムは日野川に架かるダムです。やはり農業用水用のダムで平成6年に滋賀県で5番目に大きいダムとして完成したそうです。ここも青土ダムと同じく岩や土を積み上げたロックフィルダムです。

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 ここの天端はゆっくりと歩くことが出来ました。

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  山の中にあり、光害がないので天体観測や星空撮影で有名なところだそうです。恥ずかしながら、滋賀に蔵王という地名があるのを知りませんでした。もちろんこのダムの存在も知りませんでした。

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 非常用洪水吐

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 高さが56メートル、ここから日野川に放流され、下流の日野川ダムに繋がっています。

 今日の午後の散歩をしなくても良いくらいダムの回りを歩いて、次の日野川ダムに向かうことにしました。もちろん初めは計画に入っていなかったのですが、帰り道、多少大回りしてももう一つダムを見られるなら行きたくなります。


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 本日、4カ所目のダムは日野川ダムです。蔵王ダムから山道を下りて日野町、近江商人発祥の旧道を走り、民家の間を抜けると、こんな所にと言う感じでダムがありました。平地ダムと言うそうです。

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 ここも渇水で水がほとんどありません。回りは干潟のようになっています。もっと水のある時だったら景色がかなり変わって見えるだろうと思います。

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 小さな中州にはアオサギ、他にも水鳥がいたように思います。釣りなども盛んなようで天端の入り口には漁業組合の建物がありました。

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 ここは県営の治水ダム、大きさは県内でも最小級のダムで、脇ダムがあるそうです。ダムの回りは散策出来るようになっていて、運動公園などもあります。ご近所の方が散歩に来ておられました。すぐ近くには日野城趾などもあってダム全体が大きな公園のようになっていました。

 1日に4カ所のダムを巡ることが出来ました。走った距離はこの間とあまり変わりません。期待して行った野洲川ダムは少々残念でしたが、代わりに蔵王ダム、日野川ダムに行けてラッキーでした。道を間違えるのも悪くありませんね。

 
 今日の枯葉は、スタン・ゲッツにしました。柔らかで繊細なテナーはこの曲に合っている気がします。
 


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ダム巡り [旅]

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 朝晩の気温は低いですがお天気の良い日が続いています。これだけお天気の良い日が続くと出不精のそらへいもたまにはどこかへ出かけたい気分になってきます。

 日頃アンテナを張っていないので、さて出かけるとなるとどこへ行って良いのかわかりません。あまり遠くなくかつ静かな所と言うことで、紅葉にはまだ早いと思いながらダムに行くことにしました。

 近くのダムと言えば野洲川ダムです。車で1時間くらいでしょうか。昔、何度か行った事があります。行って見れば思い出すだろうと思いましたが、念のためグーグルマップに入れました。

 ところが検索欄に「土山」「ダム」と入れてしまったので、途中であれ変な道を案内しているなぁと思ったら、なんと手前の青土(おおつち)ダムにたどり着いてしまいました。

 初めて走る道は緩やかな山道で、センターラインがある綺麗な道でした。両側には刈り込まれた茶園畑や山林が続き、人家はなかなか見当たりません。

 すれ違う車もめったになくて、ちょっと北海道の道を走っているような旅行気分を味わわせてくれました。途中車を止めて写真を撮りたいと思うところが何回かありました。


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 青土ダムの人造湖は青空の青が湖面に映えて綺麗でした。妻は来たことがあるそうですが、私は初めてです。車を止めて外に出ると湖面から吹く風が少し冷たかったです。

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 人造湖に沿った道を巡ってみます。周りは公園のようになっていて駐車場もあり整備されていました。近くにはキャンプ場や自然を体験出来るレクレーション施設などがあるようです。

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 この半円形の所から水が落ちて放流されています。左が常用洪水吐、右が非常用洪水吐です。ダムは、洪水調節、上水道、工業用水に利用されています。ダム管理用の水力発電もあるそうです。

  ロックフィルと言うダム形式です。岩石や土砂を積み上げて建設する方式のダムで日本のダムの約10%がこの方式だそうです。滋賀県だけで5基あるようです。

 湖の青さに気を取られてしまい、遊歩道の反対側、道路を渡った堤防から野洲川下流に放流される所の写真を撮り忘れてしまいました。

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  平日で紅葉にもまだ早いせいか人影はほとんどありませんでした。湖は青く静まりかえって素敵なところなんですが、湖に面した山を削っていてその音が絶え間なく聞こえていました。

 青い山に囲まれた湖の一角がはげ山になっています。これではせっかくの景観も台無しです。ここは観光地にもなっているのに、行政は規制できなかったのでしょうか。

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 湖へ下っていく道があり、かなり水際まで降りていけるようになっていました。遊歩道の両側は桜で、春はこのダム、人気だそうです。

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 キャンプ施設のそばに綺麗に刈り込まれた茶畑が光を浴びていました。

 出かけるのが遅かったので昼になってしまいました。途中コンビニにでも寄って何か買ってこようと思っているうち山道に入ってしまったので何も用意出来ていません。

 これからさらに先の野洲川ダムに行きたかったのですが、それでは昼ご飯にはぐれてしまいます。元来た道はおろかこの周りにも野洲川ダムに向かう方にもお店は望めません。

 仕方なく土山の方に戻ることにしました。ナビの案内で来た道とは違う道を選びました。片側一車線の曲がりくねった山道です。両側は綺麗な杉並木、ここでも交通量は少なくて気持ちの良いドライブ気分を味わえました。

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 道の駅で少し遅い昼食を食べて、道の駅の国道一号線を挟んで向かいにある田村神社にお参りしてきました。地元では田村さんと言って親しまれている大きな神社です。坂上田村麻呂を祀っています。

 年始の3が日は初詣で混み合います。毎年2月17,18,19日には厄除けの「田村まつり」が催されます。この祭りがある頃は1年でもっとも寒い頃なので、地元の人たちはその頃になると田村さんの時期やから寒いとか、寒いと思ったらやっぱり田村さんやった、などと言います。

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 一の鳥居から二の鳥居までの参道が旧東海道になっているそうです。

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 七五三の家族が一組ありましたが、本殿は参拝者も少なくひっそりと静まりかえっていました。

 野洲川ダムに行けなかった私は、帰り道少し遠回りして大原ダムに寄ろうと妻に提案しました。妻はもう帰りたそうでしたが、運転するのは私なので仕方なく着いてきました。

 今回もナビの案内通り進んでいたら、途中から車一台がようやく通れる杉林の道になりました。道は暗く狭く、まるで「ぽつんと一軒家」の道のようです。私はこういう道嫌いではないのですが、妻が嫌がりました。

 引き返そうというのを無視して進んで行くと、何とかダムに着くことが出来ました。私はここも私は初めてですが妻は子供の頃に来たことがあるそうです。その時と様子が違う。昔通れたところも通れなくなっていると言っていました。

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 ここは、ほんとうに神秘の湖のように静かでした。周りに建物も何もなく山に囲まれています。どこかダムなのかもはっきりわかりません。今来た道も湖を周回しているわけでは無く、地図を見るとそのままダムを離れて山奥の方に続いています。

 家に帰って調べてみたら、どうもナビは裏手の道を案内したようです。対岸にもっと広い道があり、そこにはちゃんと展望できる場所もあるようです。

 大原ダムには弁財天を祀ったダム神社があるそうです。那須ヶ原山の麓、鈴鹿国定公園内にあるので、開発で山が削られる心配は無さそうです。紅葉の名所だそうですが、ほぼ一月早かったです。

 ナビに振り回された珍道中の走行距離は約70キロあまりでした。しかし、いつも行き慣れない変わった道を案内してくれて、それはそれで面白かったです。小さな旅でしたが、ドライブ気分満喫でした。








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安土城址を行く [旅]

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 駐車場で車から降りると日差しが強く、仰いだ山の上に白い雲がぽっかり浮かんでいました。


 雨上がりの朝は湿気が取れて気持ち良いくらいでした。お盆も過ぎて、これと言ってすることもなかったので、どこかへ出かけようかと言ったら、妻が二つ返事で乗ってきました。

 別にどこへ行くとも決めないまま車を出しました。とりあえず琵琶湖方面へ向かいます。途中カメラを忘れたことに気づいて、妻に取りに帰ったらと言われましたが、戻る煩わしさもあってスマホのカメラで済ますことにしました。

 琵琶湖岸沿いを走るさざなみ街道へ出ました。左に琵琶湖を見ながら彦根方面に向かって走っていると、妻が彦根は遠すぎるというので近江八幡に立ち寄ることにしました。

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 さざなみ街道から近江八幡市街に入ってすぐ、右手に「ラ コリーナ」がありました。妻に言うと寄りたいと言います。彼女はコロナが流行りだしてから人混みを嫌うのですが、ここは大丈夫みたいでした。

 お盆休みは過ぎていましたがまだ休みの人が多いのでしょう。駐車場はいっぱいでした。止まっている車のナンバーを見ているとほとんどが他府県ナンバーなのに驚きました。人気のスポットなんですね。

 前回、孫たちと来たのは数年前で、その頃工事中だった施設がオープンしていたので妻は見たがりました。バウムクーヘンを焼いて販売しているところは大勢の人だかりでした。そこをくぐり抜けて奥へいきます。

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 以前は喫茶店と庭園があるだけでしたが、オープンカフェなどが新しく作られていろいろ楽しめるようになっていました。中で一休みするのかと思ったら、妻は好物のどら焼きが目当てだったようです。

 近江八幡市内で昼食をとり、以前から行きたかった安土城址へ行くことにしました。車で10分ほどしか離れていません。 


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 正面が受付です。安土城址はNHKの番組などでも何度か紹介されたのを見ています。しかし、実際に訪れるのは初めてです。

 喉が渇いていたのでお茶を買おうと自販機の前にいると、山を下りてきた40代の男の人が「何もないですよ。何か持って行った方がいいですよ」と親切に教えてくれました。

 空気はからっとしていましたが、直射日光はやはりまだ暑くて坂をあがるのに堪えました。以前から来たいと思っていた所ですが、まさか夏に来ることになるとは思ってもいませんでした。

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 ここは、羽柴秀吉の邸宅があった跡です。大手道を挟んで反対側には前田利家の邸宅跡もありました。

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 秀吉邸跡の石垣下でタカサゴユリが群生していました。

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 入り口受付からずっとこんな石の階段が続きます。妻が昔の人は毎日こんな坂を上がり降りしていたんやね、と感心して言います。確かに絶対君主、信長は真夜中でも秀吉や利家を呼び出したかも知れません。そのたびに彼らは、この坂を駆け上ったのでしょう。


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 普通の階段に比べて幅が広く長く続くので上がりにくかったです。時々立ち止まって休み休み上がっていきました。上に行くほど木陰が増えて行くのはありがたかったです。

 一緒に上がっていた夏休みの家族連れ、お母さんが「なぜパパは朝のうちにここへ来なかったのかしら」とこぼしています。二人の男の子はそれには返事せず、黙々と石段を上がり私たちを追い越していきました。

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 二の丸跡の信長公本廟です。太刀、烏帽子、直垂などが埋葬されているそうです。

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 やっと天主跡です。

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 1576年、安土城は五層七階(地上6階、地下1階)高さ33メートル、日本で初めて天守閣を持った城として織田信長の命によって築城されました。

 現存するお城の形としては少し変わったお城だったようです。もし遺っていればその後の築城にも影響を与えていたかも知れません。完成からわずか3年で焼失したのは本当に残念です。

 今回行けませんでしたが、資料館には天守六階部分の復元があるそうです。県では、デジタル技術を利用して、安土城や城下町を「見える化」復元を計画中だそうです。

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 安土城のあった安土山は199メートルの小高い丘と言った感じです。かつては琵琶湖の内湖に囲まれて南側だけが開けていた地形だったそうです。

 信長はここからまだ三〇メートルほど高い天主閣から琵琶湖を見下ろしていたのでしょう。干拓された田んぼの向こうに琵琶湖が見えるのですが、この写真ではわかりにくいですね。

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 順路に従って、来た方向とは違う山門の方へ向かいます。

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 緩い坂を下っていると突然三重塔が現れました。

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 この三重塔は、室町時代のものだそうです。湖南市石部東寺にある長寿寺にあったものを信長がこの地に移設させたのです。長寿寺には三重塔のあった跡が池になって残っています。

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 三重塔の脇の坂を下っていくと坂下に門が見えました。

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 二王門です。

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 こちらは正面。この門も信長が甲賀から移設させたものだそうです。

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 門の両側の金剛力士像。こちらも門と一緒に甲賀から移設されたものです。頭部内側に応仁2年(1467)造像銘が遺っていたそうで、築城より100年ほど古いです。この辺はすべて国の重要文化財になっています。

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 石の階段を降りていきます。私が写真を撮りながらゆっくり降りている間に、妻はさっさと先に降りていきました。登るときはあんなに汗をかいて喘いでいたのに。

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 私は、車の運転もなのですが、上りより下りが苦手です。ゆっくり降りていきました。

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 ようやく正面の大手道に出ました。下の建物が受付です。その左にある休憩所で妻はベンチに座って私の帰りを待っていました。



 今日のWes Montgomery(ウェス・モンゴメリー)です。ジャズギターの第一人者ですね。
テクニックもそうですが、この人のギターの音色は太く聞こえるような気がします。



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師走の京都 [旅]

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 所用があって、約2年ぶりに京都へ行って来ました。コロナが始まって以来、県外に出るのも初めてです。翌日は寒波到来の予報が出ていましたが、その日は少し冷たい風が吹く晴れたり曇ったりの日でした。

 地下鉄市役所前で降りたので、ついでに以前時々利用していた中古ジャズレコード店を覗いてみることにしました。市役所近くの雑居ビルの二階、狭い階段を上がった所にあるその店の入り口には、7月で閉店お知らせの貼紙がしてありました。


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 「蕎麦ぼうろ」でおなじみの河道屋の本店です。市役所から御池通を渡って麩屋町通りや富小路通りをスマホのカメラで気ままに撮って歩きました。

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 風情のある町屋が並んでいると思ったら、その向こうに古ぼけたビル、そして高層マンションです。京都もどこの街にもある風景に浸食されつつあるようです。

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 何屋さんだったか、洋品店だったと思います。古風な佇まいを現代風にアレンジしておしゃれです。町屋を現代風に直したこういうお店増えています。

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 ここは昔ながらの佇まい、何屋さんだったか忘れましたが入り口に「ぜんざい」と書かれています。

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 狭い間口のお店が並ぶ中で、ひときわ目立っていました。私と同じようにスマホのカメラを向けている観光客がいました。

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 ここは普通のお宅だと思います。懐かしく思えて撮りました。私たちの街道は京都の影響を色濃く受けていて、昔はこういう軒先のお宅がたくさんありました。

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 ここも懐かしく思える店先です。古いショウウインドウには扇子が一つあるだけの潔さです。

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 お昼御飯を食べたところです。ハンバーグは柔らかくておいしかったけれど少し小さく感じたのは、ファミレスのハンバーグに慣れているからでしょうか。

1-unnamed (43).jpg そのあと、このお店でコーヒーを飲んで一休みしました。店内には古い映画音楽が流れていて、昔ながらの落ち着いた雰囲気の喫茶店でした。

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 本日の目的地はこちらです。ナビで探して目の前を通っているのにしばらく気づけませんでした。Maker’s Watch knot京都ギャラリーショップです。店内にある日本製の時計とベルトを自由に組合わせてお好みの一品が選べるお店です。

 今年の夏、弟が古稀の祝いにこちらの時計購入チケットを贈ってくれました。県内には該当するお店が無く京都まで行かなくてはいけなかったのですが、7月、8月はコロナパンデミックの度最中でした。

 ようやくコロナも落ち着いて来たかなと思えた12月、プレゼントチケットの有効期限も12月末というぎりぎりでした。

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 無事、時計を選んで、その後は寺町京極、新京極などを軽く流して歩き、三条大橋に出てみました。橋の上から北山の方です。意外と空がきれいでした。

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 鴨川縁を歩いている人は、このあと振り返って三条大橋を撮っていました。

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 高瀬川が流れる木屋町です。木屋町の入り口ではおまわりさんが三名ほど立っていました。

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 木屋町も先斗町も夜はなかなか一人では歩けない気がしますが、昼間なら大丈夫です。狭い路地をもの珍しげに、左右の店先を眺めて行きました。

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 京都もすっかりジャズ喫茶が無くなってしまいました。こちらはウイスキーとジャズのジャズバーです。もちろんこの時間はまだ開いていませんし、夜でも入るのは勇気が要りそうです。

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 路地の左右のお店はまだこの時間どこも開いていなくて、店先には「準備中」の札と違って、京都らしく「支度中」の札が掛かっていました。

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 先斗町の路地の終わりにある歌舞練習場です。コロナでお休みなのか貼紙がたくさん貼られていました。

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 坂本龍馬がいた部屋があるそうで、展示中となっていました。京都を歩いていると街角のあちこちに新鮮組とか池田屋とか歴史に縁のある場所の看板や石碑が建っています。

1-unnamed(10)-001.jpg 三条から四条まで歩きました。四条大橋、中央に見えるのが南座です。このあと、高島屋に寄ってちょっとしたお土産を買って帰途につきました。

 久しぶりに行った京都の街はやはり以前と比べると少し人出が少なく感じられました。多分、外国の方がいないせいではないかと思います。

 他にもまだまだ行きたい所はあったのですが、今回は十分歩いた気がしました。京都を堪能出来たと思います。


 今夜のSStan Getz(スタン・ゲッツ)です。村上春樹氏は何かの本で彼のことをお気に入りのジャズメンにあげていたように思います。明日は雪の予報が出ていますが、曲はHere's That Rainy Dayです。



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2月の思い出 [旅]

 記録的な長雨の7月、記録的な猛暑の8月が終わって、予想通り台風の9月がやってきました。台風9号は何とか通りすぎたようですが、また過去最大級と言われる10号が控えています。大きな被害が出ないことを願わずにはいられません。

 当地は、台風の影響で曇りがちの日が多くなり、時折雨の音も聞くようになって気温は幾分下がり気味です。台風前後の不快な蒸し暑さはありますが、これくらいは我慢しなくてはいけないでしょう。

 その間も、新型コロナの影響は不安な重奏低温のように生活を覆っています。田舎の様々な行事はほとんど中止になりましたし、出かける用事もぐっと減ってしまいました。

 もともと私の生活は単調な日々の繰り返し、とくに夏場は畑作業や草刈りに追われることが多いのですが、たまにコンサートに行くのが息抜きになっていました。

 新型コロナが蔓延するようになって、コンサートやライブが軒並み中止になったり実施されなくなってしまいました。今年はコロナ騒ぎの前に行った2つだけです。


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三島池

 そのうちのひとつ、まだ新型コロナ騒ぎが本格化する前の2月9日、米原で開かれたコンサートへ行った時のことをブログで報告出来ていませんでした。新しいことがないので、ネタに困っての過去記事になります。

 コンサートは、以前から妻が行きたいと言っていたミュージシャンのものです。だた関東ではよくあるのになかなか関西で開かれることがなくて数年越しのチャンスでした。

 米原という地で行われるのは珍しい事です。米原は同じ県内でもなかなか行く機会がありません。大阪京都なら迷わず電車ですが、寄り道観光を兼ねて車で出かけることにしました。夕方から始まるコンサートなのに午前に家を出ました。

 コンサート会場は初めて行くところなので、最初に下見をしてから足を伸ばして三島池に行ってみました。三島池は息吹山の麓近くにある周囲800メートル弱の池で、全体が公園のように整備されています。春には桜の名所で賑わうそうです。

 風の冷たい寒い日でしたがお天気は良くて、三島池も息吹山も綺麗に見えました。池には鴨がたくさんいて、平日のわりにたくさんの来場者がありました。

 背後にそびえる息吹山、いつものこの時期ならもっと雪をいただいて真っ白ではないかと思うのですが、今年は暖冬、雪は頂上にわずかしかありません。

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 その後、コンサートまでまだ少し時間があったので会場に戻る途中で醒ヶ井に寄りました。醒ヶ井は小学生の頃、遠足で醒ヶ井養鱒場へ来たきりです。

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 梅花藻で有名な地蔵川です。川底がすっきり見えて水の綺麗さがうかがえます。寒い日だったせいか、私たち夫婦以外の観光客の姿はありませんでした。

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 季節ではないのでしょうが、梅花藻が少し咲いていました。

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 地蔵川、うまく撮りたかったのですが難しいものです。もたもたしていると冬の短い日が傾いてきました。私はもう少しゆっくりしたかったのですが、妻にせかされてコンサート会場の滋賀県文化交流館に向かいました。



 今日のOは、Oliver Nelson(オリバー・ネルソン)です。ジャズを聴き始めの頃、よく聞きました。サックス奏者ですがアレンジャーとしても有名です。曲はアルバム「ブルースの真実」からStolen Momentsです。
 


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近江の古寺と花 [旅]

 今年の梅雨は前半空梅雨気味だったのに、ここへ来て前線の記録的な停滞で、九州を始め岐阜や長野に甚大な被害をもたらしています。被災された方のことを思うと言葉もありません。これ以上被害が広がらないことと、1日も早い復興を願ってお見舞い申し上げます。


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 古いお寺に行ってきました。湖南市東寺にある長寿寺です。もともと紅葉がきれいで人気のあるお寺なのですが、以前行ったときアジサイも綺麗だったので雨上がりの朝に行ってきました。

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 本堂は明治31年に国宝に指定されています。創建は天平(729~748)です。一度貞観年中(859~877)に焼失、同年間に復元されています。

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 青々としたモミジの若葉が参道を覆って、秋の紅葉時期の美しさが偲ばれます。秋には何度か来ていますがこの時期は二度目です。

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 アジサイは種類が多く、名前がわかりません。

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 ご本尊は子安地蔵菩薩で子宝、安産、長寿のお寺です。

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聖武天皇の菩提を弔うために建てられた石造多宝塔、大変珍しいものだそうです。

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アジサイと古い灯籠の向こうに本堂が見えてきました。

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多宝塔と本堂の間にある鐘撞き堂の周りをアジサイが囲んでいます。


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 以前来た時よりアジサイの花が少なく感じられました。以前はもっといろいろなアジサイが盛り上がるように咲き誇って境内を彩っていました。それが今回は木もあって緑の葉は十分に広がっているのに肝心の花があまりありません。咲き終わった花もあったので時期が少し遅かったかなと思いました。

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 弁天堂です。こちらは昭和27年に国重文に指定されています。

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 弁天堂を囲む池にヒツジグサが咲いていました。

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 弁天道の背後に回りました。

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 本堂の全容です。二つの建物が内部で入り組んだような構造で大変貴重なものだそうです。内部へは数年前、50年に一度のご開帳があってお参りしたことがあります。

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 アジサイの盛り上がりの背景に本堂をぼかしたり、またその反対にアジサイを前ボケに本堂を撮ったりしてみたかったのですが、なかなかそういうシチュエーションに出会えませんでした。

 ちょうど手入れをされいる方がおられたので話しかけてみると、去年剪定をして失敗してしまったのだそうです。この広い境内を一人で世話されているのなら大変だろうなと思いました。

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 ほとんど地続きの境内に白山神社があります。門は同じで参道が途中で別れています。長寿寺の鎮守社として奈良時代に創建されたそうです。

 今は、お寺も神社も別々の場所に独立してありますが、昔はこのように同じ敷地内にお寺と神社が共存していたのですね。

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茅葺きの拝殿も歴史を感じさせます。

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拝殿と神社の蔵の間を通って小高くなった土手に上がると池があります。


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この池は三重塔跡です。天正3年、織田信長が安土城内の信長菩提寺である摠見寺に移築してしまったのだそうです。

 織田信長はこのほかにも楼門をお隣の栗東市にある蓮台寺に移築したそうです。滋賀の寺は信長の焼き討ちに遭ったりしていろいろ影響を受けています。
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池の土手から白山神社拝殿とその向こうの長寿寺を見下ろしたところ。

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ひと通り見終わって、お寺を出たところにネムノキが咲いていました。

 1時間あまりでしたがその間どなたにもお会いしませんでした。世話をされている方が、秋以外は訪れる人が少なくて、その上コロナ騒ぎでよけい訪れる人が減っていると嘆いておられました。

 これでもずいぶん取捨したのですが、下手な写真が多くなってしまいました。お付き合い、ありがとうございます。



 今夜のNは大御所を忘れていました。Nat King Cole(ナット・キング・コール)です。若い時は何とも思わなかったのですが、歳を取ってその朗々とした歌い振りに惹かれます。曲はsmileです。



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お出かけ [旅]

 今年も残すところあと10日ほどになって来たというのに、今日のお出かけの記事は11月末のことです。カメラを持って街に出かけることが少ないそらへいですが、ある目的のついでに皆さんのように街撮りのまねごとをしてみました。

 目的地まで直接車で行っても良かったのですが駐車場の問題もありましたし、それでは自由に写真を撮れないので草津まで車で出て後はJRと京阪電車を利用することにしました。

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 草津駅、琵琶湖線の下りホーム向かいには草津線を走る忍者列車が待機していたので撮って見ました。

 草津から京都に向かって三つ目、JR石山駅で京阪電車石坂線に乗り換えます。JR石山駅は高校三年間利用した懐かしい駅です。もともと駅前ロータリーが狭くバスと京阪電車とタクシーなどの車両、人が入り交じっていました。

 今も広さはあまり変わっていませんが、人と車と電車の区分けが整理されているようです。とくに京阪電車の駅が高架されてJR石山駅から直接乗り入れられるようになっています。

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 電車が走っているあたりに昔は京阪石山駅がありました。石坂線はこの先の石山寺駅から坂本駅まで繋がっています。いつもは京都へ行くのにJR京都駅まで直通で行くので利用しなくなりましたが、高校生の頃はここから京阪電車に乗ってよく京都へ行ったものです。

 写真の京阪電車、アニメのデコレーションをしています。私には何のアニメかわかりませんがマニアらしい人が二人、走る電車に向かってカメラのシャッターを切っていました。

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 昔は平地を走っていた京阪電車の線路が高架駅に向かって坂道になっています。線路は高架のままJRの線路を跨いでから大津の街に降りていきます。

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 橋上駅の広場に立っている銅像は松尾芭蕉です。高校の近くの小高い岡に芭蕉が一時期住んだ幻住庵がありました。高校生の時、何度か行ったことがあります。

 いつぞや懐かしくなって訪ねたらすっかり周りの様子が変わっていて驚きました。畑や野原はすっかり宅地で埋まり幻住庵のある小高い岡も見通せません。

 やっと見つけた幻住庵の周りはきれいに整備されていました。野ざらしに近かった昔とは隔世の感がありました。しかし、私が行った時は大きな台風被害の1・2年後でまだ復旧の途中、中に入ることが出来ませんでした。

 京阪電車に乗るのは本当に久しぶりです。ホームへ降りた時入ってきた電車に乗ったのでいちばん後ろの車両になりました。写真のことを考えると一番前が良かったと思います。

 以前、鎌倉の江ノ電に乗ったとき京阪電車の風景に似ている気がしました。それを確かめたくて写真を撮るのも忘れて車窓の風景を見やっていました。

 家々の軒先を走る風景は少し似たところがありますがそのほかは路面電車という共通点しか見いだせませんでした。季節も江ノ電に乗ったのは春を思わせる暖かい3月、今は11月末と違いすぎました。

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 京阪島ノ関駅です。京阪電車、昔私が利用した旧車両もまだ走っているはずですが、新しい車両に変わりつつあります。

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 島ノ関駅から琵琶湖の方面に歩いて行くと琵琶湖岸沿いのなぎさ通りに出ます。

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 この日は日曜日、生憎の曇り空でしたがなぎさ通り沿いの公園で遊ぶ親子や釣りを楽しむ人、湖に突き出した突堤で鴨や行く船を眺めるたくさんの人々の姿がありました。

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 湖岸にはたくさんの鴨がいました。これはスズカモ?

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 突堤から琵琶湖岸を撮りました。中央の白い建物が琵琶湖ホールです。大阪のフェスティバルホールには行く事があるのに、地元のこの立派なホールにはまだ入ったことがありません。その横、少しわかりにくいですがお城のような建物は滋賀県立琵琶湖文化会館、残念ながら現在閉鎖中です。

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 浜大津港から外輪線のミシガンが出航していきます。一度乗船したことがあります。


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 別の船が浜大津港に寄港しています。左手に琵琶湖ホテルがあります。背景の山は比叡山に連なっています。

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 浜大津から大津駅に向かう通りは長い坂道です。

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 駅に向かう通りと京阪電車が交差する交差点の角の線路脇にありました。再開発の時にあちこちのお地蔵さんがここに集められたのでしょうか。

 狭い通りの両脇に赤茶けた色をした平屋の町家が並び、その角にひっそりとたたずむ地蔵の風景、大津の古い街なみが偲ばれます。

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 やっと昔懐かしい旧車両が来たと思ったら賑やかにデコレーションしていました。

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 この日の目的はこちらです。その話はまた次回に回すことにします。




 粘ってきましたがそろそろの項目も終わりを告げそうです。今日はジャズピアノの鬼才Lennie Tristano(レニー・トリスターノ)です。余情を廃した力強いピアノタッチが印象的です。曲はYou Go to My Headです。リー・コニッツのアルトもいいですね。



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京都水族館へ [旅]

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 異常に暑かった今年の7月、そしてそのまま暑さを引き継いだ8月も今日で終わりです。この夏、台風以外ほとんど雨が無かった当地ですが、今日は久し振りに雷雨があって当地にとっては恵みの雨となりました。

 この夏の間、草刈ばかりしていたそらへいですが、幼稚園の夏休みも終わりに近づいたある日、孫を連れて京都水族館へ行ってきました。

 パパが忙しく、夏休みの間どこへも行っていないというので、ここはひとつジジババが出しゃばることとなりました。

 実を言うと、夏休み前に家族で名古屋水族館に行っていたのですが、岡崎の動物園は暑いし人気の京都鉄道博物館はこの子たちにはまだ少し早いかなと言うことで、涼しそうでまた行ったことがない京都水族館となりました。

 2年ほど前に京都に水族館が出来たと聞いたときは、なんだか違和感を感じました。京都は観光名所、何も水族館などなくても集客は十分にあるだろうと思ったのです。

 しかし、私たちのところから一番近い水族館と言うと鳥羽になります。それに比べると京都は近く電車で行けるのでジジババにもちょうど良い気がしました。

 6歳になる上の孫娘は電車に乗れるのを楽しみにしていました。最寄り駅まで車で移動する間も、いつ電車に乗るのかうるさく何度も聞いていました。

 3歳の下の孫は、いつも車移動が中心なので電車に乗る経験があまりありません。乗るまで難しい顔をしていましたが、いざ乗ってみると車窓の風景を珍しそうに眺めていました。

 大人にとっては退屈なだけの逢坂山の長いトンネル通過も、電車に乗り慣れない孫たちには面白い体験だったようです。


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 京都水族館はこじんまりしていました。それでも去年の夏、やはり孫を連れて行った淡水魚を集めた琵琶湖水生博物館に比べるとさすがに大きくて華やかでした。いろいろな色の海水魚がたくさんいましたし人気のペンギンやアシカ、イルカなどがいました。

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 孫たちは、水槽のガラスにへばりついて魚たちの動きを見つめていました。

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 館内を一通り回って、最後はイルカショーです。イルカのショーにはあまり関係の無いコントがあってから、イルカたちの芸が見られるショーがありました。

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 ショー自体は短いもので、南紀白浜のアドベンチャーワールドのショーなどに比べると物足りなく感じましたが、小さい子供たちにはちょうど良いくらいだったかも知れません。

 水族館にいたのは2時間ほどだったでしょうか。その後、京都駅ビルの上で喜多方ラーメンを食べて帰りました。我が孫たち、二人とも無類の麺好き、しかもラーメン好き、どこへ行ってもラーメンに付き合わされます。しかし、ここでは水族館の入場券を見せると餃子の無料サービスがあってジイジにはラッキーでした。

 帰り道、さすがに疲れたのか寝坊助の弟は電車の中でうつらうつら、ほとんど寝ない上の孫娘も車に乗ってから寝てしまいました。

 夏休みの思い出一つ出来たかなぁ。大きくなってもジジババと行った水族館覚えていてくれるかなぁ。 

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2日目午後、谷中~早稲田 [旅]

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 このまま一気に春が進むかと思ったのですが、さすがにそうは問屋が卸してくれませんでした。雨が続き気温は下がり、最後には強い風が吹く春の嵐になりました。関東地方では霙や雪も降ったそうです。

 撮り忘れていた近所のウメやサンシュユ、雨が上がった日の写真です。風雨にもめげずなんとか残っていてくれました。どなたかのブログではもうコブシが散った情報がありましたが、幼稚園のコブシはまだ蕾が開きかけでした。

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 我が家の桜です。雨の間にも蕾がどんどん丸くなって、雨が止んでここまで膨らんで来ました。どの枝にも大きな蕾があって、今年は花付きが良い予感がします。


 


 メイドさんの奇妙なお喋りを背に、秋葉原を後にした私はそのまま山の手線に乗って日暮里に向かいました。日暮里に降りるのは二度目です。

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 若い頃にシャルマンと言うジャズ喫茶を訪ねて初めて日暮里に降りました。その時、一度行っただけなのに歩いた日暮里の情景が何度も鮮明に蘇るのでした。

 夕方だったと思います。お寺の影が通り沿いにいくつもありました。長い階段を降りるとちょっとした広場があって、左手に狭い商店街がありその入り口あたりにシャルマンがあったと記憶していました。


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 有名な夕焼けだんだんです。私の記憶ではもう少し長くてゆったりした階段だったように思うのですが、行ってみると思ったより短くて急な階段でした。階段を降りて左手に伸びていたと思った谷中銀座の商店街は、階段を降りた真正面にありました。

 
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 階段の下から見上げた空の夕焼けがきれいなので、夕焼けだんだんと名付けられたのだと、私のそばを歩いていた男性が隣の女性に語っていました。

 あいにく時は真昼間、仰いだ空にはきれいな青空が広がっていました。夕焼けだんだん、ほのぼのとしたいい名前ですね。昔、私がこの階段を降りた頃はまだそんなしゃれた名前は付いていなかったと思います。

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 谷中銀座、商店街の通りとしては短いものですが平日にもかかわらずけっこう賑わっていました。ものを頬張りながら歩く人たち、店先を冷やかしていくグループ、お昼時とあって天ぷら屋さんに行列が出来ていたりしました。

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 シャルマンを探して何度も行き来する間、この方はずっとこの格好でした。誰も気にしないところを見ると寝ているだけなんでしょうね。

 商店街に入ってすぐにシャルマンがあったと思うのですが、何度谷中銀座を行き来しても見つかりません。昔は二階建ての一階が喫茶、二階がスナックだったらしいのですが、今では二階でジャズバーとして夜だけ営業を続けているはずです。

 夜は慎介選手の試合があるので来ることは出来ないので、昼間、その店先だけでも見てみたいと思って訪ねたのでした。

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 何度も行ったり来たりするのに疲れて、あきらめて帰ろうとしたとき、夕焼けだんだんと谷中銀座のアーチの間にある建物のシャッターの前にこの小さなプレートが掛かっていました。光って見にくいですが、シャルマンのマッチデザインと同じです。

conv0009.jpg ジャズ喫茶「シャルマン」のマッチ




 「シャルマン」のプレートを見つけて納得した私は、そのまま西日暮里まで歩くことにしました。朝肌寒く感じたお天気も、天気予報通りの好天に気温をどんどん上げていました。薄着にして正解でした。

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 狭い通りを歩いていると路地の奥に昔懐かしいアパートの建物がありました。ふらっと入っていったら中から髪を伸ばした汚い格好の友人が出てきそうです。いや、あの雨戸の閉まった部屋がかつての私の部屋かも知れません。

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 「右やなか」の道標

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 正面にまわると「ろくあみだみち」と読めます。私が歩いている狭い道がその道のようです。

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 東京のどこにでもある路地、中野や西荻窪と変わりません。

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 建物に囲まれた小さな公園、平日の昼間のせいか遊ぶ子供の姿はありません。

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 東京でよく見かけるお蕎麦屋さん、お昼を過ぎていたので入ろうかと思いましたが高そうなので通り過ぎることにしました。

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 パン屋さんの二階で落語演芸をやっているのでしょうか。何気ない街中にこういうところがあるのが、いかにも東京らしいですね。東京の懐の深さを感じます。

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 またしても懐かしいアパートの建物。意外と残っているものです。今ではどのような人が住んでいるのでしょう。貧乏学生、生活より夢を追っている若者、それとも外国人、独居老人でしょうか。


 西日暮里から都電荒川線に乗るために三ノ輪駅を目指したのですが、これが失敗でした。ずいぶん歩くことになってしまいました。

 歩いていると線路沿いに公園があり、公衆トイレがありました。ちょうど用を足したかったので入ってびっくりです。以前の汚い公衆トイレのイメージと違うのです。室内も便器もきれいで人が離れると自動的に水が流れるセンサーまで付いていました。

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 三ノ輪の駅に着いてやっと都電に乗る事が出来ました。都電でもICカード(私はJR西日本なのでICOCAなのですが)使えるのですね。しかも普通なら170円がICカードだと165円だそうです。

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 乗った電車は外観も車内も新しいデザインの車両でした。すれ違う電車に旧タイプの色使いのものがありましたが車内はわかりません。その電車は確か貸し切りと表示されていました。

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 都電に乗るのはやはり若い頃に乗って以来です。その時は大塚から西ヶ原四丁目まででした。ですからこんな一般道を他の車といっしょに走るところがあるのは知りませんでした。京都の市電を思い出します。

 景色に気を取られて写真を撮り損ねたのですが、軌道が坂道になっているところがありました。雑司ヶ谷から鬼子母神前あたりだったかと思います。

 ずっと昔、和久井映見だったか仁科明子だったかが主演した単発もの青春ドラマがあって、その舞台が都電荒川線沿線でした。ドラマの中で都電が波打つ線路を走る映像があって印象的でした。ここだったのですね。

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 三ノ輪駅から早稲田まで所要一時間弱、165円の路面電車の旅を堪能して終点早稲田に着きました。

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 早稲田駅を降りて、さてどうしたものかと思いました。時刻はもう3時です。ボクシングの応援に来ている同級生たちは4時に両国に集まるようになっています。私は4時から5時の間に行くと言ってあったのですが、5時としてもそれほど時間があるわけでもありません。

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 早稲田から最寄りの地下鉄やJRに行くにはどういけば良いのだろうと思いながら、あてもなくひとつの通りに入っていったところ、通りの左手になんと一件のジャズ喫茶を見つけました。NUTTY、ここは私の頭に入っていなかった所です。時間ありませんでしたが迷わず緑色のドアを押しました。

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 中はそんなに広くはないけれど、20席ほどあって中年男性が5.6人、ジャズに耳を傾けていました。今時のジャズ喫茶にしては大きな音が流れています。

 サランネットを外した大きなスピーカーはJBL4331Bです。いい音がしてましたね。耳に優しい高音が印象的でした。

 入った時はコンボの曲がかかっていましたが、ビル・エバンス・トリオになりました。ベースのソロに耳を澄ませていると、学生二人組が入ってきてリクエストをしました。デューク・エリントンの極東組曲です。

 この曲が終わったら席を立とうと決めたのですが、これが組曲と言うくらいなのでなかなか終わりません。曲が終わる頃、時計は4時を回ってしまいました。

 学生さんはやはり早稲田の大学生でした。曲が終わるとマスターが、今度この曲をハイソサエティが演奏するので皆さん聞きに行って下さいと客に紹介していました。

 店を出た私は、もたもたしていると5時にも間に合わない気がしました。早稲田からどのコース辿れば最短で両国に着けるか思案しました。歩いて道に迷うとドツボに嵌まるので、安全策をとって大塚まで都電で戻り、そこから山の手線で秋葉原へ出て総武線に乗り換えることにしました。

 山の手線に乗っているとき、LINEに両国駅近くのレストランに集合していると連絡がありました。秋葉原に着いて、総武線のホームで電車を待ちながら何とか5時までに着きそうだとほっとしていると、大事な忘れ物に気づきました。

 なんとボクシング会場、両国国技館の入場券、ホテルに置いてきた鞄に入れてあったのです。とりあえずそのまま両国まで行って、皆が集まっているレストランで落ち合いました。

 事情を話して慌ててホテルに戻りました。皆は両国国技館近くのホテルに泊まっていましたが、私はブックマークで最安値を選んだので距離がありました。

 もし、皆といっしょに食事をして7時過ぎに会場入りしようとして、そこでチケットがないことに気づいてホテルに戻っていたら、この間の試合なら間に合わなかったかも知れません。 


 今夜のEEarl Hines(アール・ハインズ)です。この演奏はジャズ初期のストライドピアノの面影が色濃く残っている気がします。
 1970年代に来日した時、聞きに行きました。サッチモを思わせるエンターティナー振りでした。彼が連れてきていた無名の女性シンガーが印象的でしたが、その後さっぱり名前を聞かないので無名のまま終わったのでしょうね。


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