前週までぐずついた天気が続いていたのにシルバーウィークに入ると、さわやかな秋晴れの日が現れるようになりました。シルバーウィーク、今年は土日と繋がって5連休になりました。そのど真ん中、22日は山中愼介選手のタイトルマッチが組まれていました。

 東京でのタイトルマッチ、今までなら自宅でテレビ観戦でしたが、いつも応援に行っている数人の同級生たちに誘われて、思い切って参加することにしました。もちろん表向きはタイトルマッチ観戦ですが、実は久しぶりの東京に会いたいと言う下心がありました。

 シルバーウィークのど真ん中と言うことで京都駅も、新幹線も人でごった返していました。ここしばらく列車の旅をしたことがなかったり、人混みを避けて田舎に引きこもり放しの私にとっては、連休中の人の多さと騒々しさに辟易でした。

 新幹線の中も、いつもならビジネススーツを着た人で埋まっているのに、カラフルな服を着てたくさんの荷物を持った旅行者でいっぱいでした。我が孫と同じくらいの乳幼児を連れた親子連れも目立ちましたね。

 東京へは6年ほど前にお寺のバス旅行で芝、増上寺上野に行っていますが、団体旅行でほとんど自由はありませんでした。新幹線に乗って上京するのは本当に久しぶりです。前回は何年前だったのか、50代はありませんでしたからたぶん20年振りに近いと思います。 

 新幹線で上京というと、いつも左の窓際の席しか記憶がないのは、他の席では眠っていたのだと思います。いつ頃上京したときだったか、たぶん前回だったのではと思うのですが、新幹線が東京が近づいてくると車窓、曇り空の下に摩天楼のようなビル群が現れました。

 それが進化した新宿副都心の姿と気づいたときは今更のように驚きました。何せ私が東京を去ったときは、高層ビルは池袋サンシャインと霞ヶ関、そして新宿の4,5棟で都庁さえ建っていなかったのですから。

 今回その姿をもう一度見たいと思ったのですが、あれからさらに20年近くが経っています。居眠っていて見逃したのか、その手前に何本もの高層ビルが林立していたので遮られて遠景を見ることも出来なかったのか、確認できませんでした。

 新幹線がぐんとスピードを緩めて、車窓の両側にビルの壁が現れるようになります。滑るように進んでいく車内で到着が間近のチャイムとアナウンスが流れます。ああ東京に来たのだなぁと思う瞬間ですね。東京在住の頃、帰省から戻ってくるとき、何度このチャイムとアナウンスを聞いたことか。

 東京駅まで行くつもりでしたが、同級生がホテルを試合会場の大田区体育館近くに取っていてくれていたので、品川で降りて京浜東北線で蒲田まで行きました。浦島太郎のような話がどんどん出てきますが、私は新幹線が品川に止まると言うことをつい最近まで知りませんでした。

 蒲田というと「蒲田行進曲」です。当時見た日本映画の中では抜群に面白かったですね。ホームの発車メロディも「蒲田行進曲」が流れていました。東京在住時、この駅に降りた記憶はありません。スマホのナビで案内してもらって、同級生が待つホテルにたどりつきました。

 とりあえず、チェックインして後は、近所の居酒屋で試合前に軽く一杯。タクシーを拾うほどでもないと言うことで歩いて大田区体育館へ行きました。入り口で、具志堅用高さんがベージュのスーツを着て電話してる姿がありました。

 山中愼介選手が大田区体育館でするのは二度目だそうです。以前も応援に行った連中によると、コンパクトで一番見やすい会場ということでしたが、中に入ってみると確かに二階席でも近くて臨場感がありました。300ミリ望遠でもなんとか選手を捉えることが出来ました。

 会場では地元から日帰りの弾丸バス応援団の人たち、東京の応援団、それから我我、愼介オヤジ同級生軍団が集まって、大盛り上がりでした。とくに、終盤劣勢だったので、シンスケ、シンスケの大合唱でした。

 試合の方は、何とか勝てました。と言うか、応援に行った我我としては、最後はもう勝てれば何でも良いと言う感じでしたね。そしてどっと疲れが出ました。

 勝てないとその後の予定がいろいろ狂います。我我応援団の本日のメインイベント祝勝会が出来なくなります。もっともその場合は、残念会が催されたでしょうが。

 その後、蒲田の街を歩き、カラオケなどにも寄ってホテルに帰ったのはいつもの通り日付を越えていました。続きはまた明日です。