昔、「今はもう秋」という歌がありました。トワ・エ・モワでしたか本田路津子でしたか、あ、本田路津子は「秋でもないのに」でしたね。題名とは反対、正真正銘の秋の歌でした。

 調べてみたらトワ・エ・モワの歌の題名は「誰もいない海」だそうです。歌い出しの歌詞が「今はもう秋、誰もいない海」でした。歌のタイトルと言い、歌手と言い記憶がかなり混乱しています。どちらも1970年の曲、もう45年も前の歌なんですね。

 ここまで書いてこの出だし、以前にも書いたような気がして思わず過去記事を検索してしまいました。時々書いていると、そういうことがあります。デジャブとはまた違うのでしょうが。

 なにせブログ歴が長いので、書きながら、これ以前も書いたとか、去年も同じ題材を扱ったと思うのですが、それでもそのまま書いてしまうことたびたびあります。そうと気づかないでおんなじことばかり書いていると認知症を疑われそうで怖いですね。

 今回に限らず、これからも記事内容の重複がたびたびあると思いますが、これも歳のせいとお許しください。


 もう9月末ですが、なかなかさわやかな秋晴れの日が来ません。梅雨を思わせるどんよりした空が続いたかと思ったら、30度近い蒸し暑い日があったりします。今夏にはほとんどなかった雷雨や大雨が今頃あって、8月の少雨とは全く逆の日照時間の少ない9月のお天気でした。

 それでも季節はそれなりに進んでいるらしくて、彼岸花は例年通り彼岸の入りに合わせるように咲き出して、今はあぜ道のあちこちに赤い列を作っています。モズのけたたましい鳴き声も先週あたりから聞こえるようになって来ました。

 

 別名「曼珠沙華」とも言われる彼岸花ですが、子供の頃はこの花を摘んで遊んだり家に持ち帰ろうとすると母に叱られました。縁起が悪いとか家に持ち込むと火事になるとか。

 忌み嫌われる原因は、地下茎に毒があるからなのでしょうが、それ以外にもその花の形や色が他の花に比べ異様に見えるからでしょうね。誰もが知っている花でありながら、妖しい魅力を放っているせいか小説や歌や映画のタイトルに使われたりもしているようです。

 この夏読んだ宮部みゆきの連作短編集「おそろし」の中にもそのものズバリ「曼珠沙華」と言う章タイトルがありました。小説の中では、赦免花、死人花という異名がある事も語られていましたね。

 庭の片隅に咲くこの花の間から死人の顔が見えると言うお話でした。他にどんな小説があるのか調べてみましたが、山口百恵が歌う「曼珠沙華」、小津安二郎監督の「彼岸花」しか見つけられませんでした。

 桜とはずいぶん趣が違いますが、これも日本の季節を伝える花としては代表的な存在だと思います。ただ、桜などと違うところは、この花、都会の公園や川縁などで咲くより、田舎の畦道がいちばんふさわしいと思えることでしょうか。


 久し振りのジャズはアート・ペッパーを終わって次はアート・ファーマーに行くつもりだったのですが、その前に一枚、ボーカルを挟んで見ようかと思います。ボーカルもA行でアニタ・オディです。

 「ANITA SINGS THE MOST」一番最初に買ったアニタ・オディのアルバムです。1956年録音、アニタ・オディ30代、油が乗りきった頃の歌声です。ピアノはオスカー・ピーターソンです。「星影のステラ」しっとり歌ってますね。早くこの歌が似合う星の瞬きが美しい秋になってほしいものです。