その家の前に着くと、彼女は庭先で忙しく洗濯物を干しています。彼の姿は見えませんが部屋からは音楽が聞こえています。音楽を聞きながらコーヒーを飲んでいるのでしょう、それとも絵を描いているのでしょうか。
そんな想像をしながら20代の頃、何年かをいっしょに過ごした友人夫婦の家に向かいました。彼らは中野区弥生町に住んでいたのですが、私が帰郷して数年後、今の埼玉県飯能市に住まいを移したのです。
その住居を訪ねるのは、これで三回目になります。今回訪ねるのはほぼ20年振りです。初めて訪ねたとき、hataさんと娘さんが自転車で迎えに来てくれたのを思い出します。その頃小学生だった娘さんは今では30代になっているはずです。
池袋から約一時間、西武池袋線のその駅は、二十年前に訪れたときとあまり変わっていないように見えました。駅の回りには地味で小さなお店が数えるほどあるだけ駅前の賑わいはありません。
わずかな記憶を辿って駅前の道を左折、少し坂になった西武線の踏切を越えます。そこからはスマホのナビに登録してある住所をその案内に従って歩き始めました。途中小さな小川沿いの小道があってそこを通った気がするのですが、ナビはそのまままっすぐの広い道を案内します。
通り過ぎてから気になって戻ると、ナビが小川沿いの経路を示しました。それでそちらの経路を選択、その後はあまり自信がなかったのでナビの案内に従って歩くことにしました。
ナビに案内される道は私の記憶にかすかに残っている神社のある森がいつまでたっても見えませんでしたが、二十分ほど歩くとなんとなく覚えのある街並みが見えてきました。
そのあたりは、郊外と言っても私たちの田舎とは違っていました。起伏はありますが山はありません。畑と住宅が交互に散在し、昔田んぼだったのか、名残の水路がいくつか流れています。
薮や雑木林はありませんが家々の木々に野鳥の影が忙しげに飛び交っていてのどかな雰囲気です。賑やかなのはどこにでもいるヒヨドリです。折から庭に咲いた紅梅にメジロらしい鳥影が見えました。
この辺とおぼしきところで、スマホのナビが迷いました。同じ様なところを行ったり来たりしている間に、ようやく彼らの家を見つけました。以前より回りの住宅が増え、街並みが少し変わったように思えましたが、その家に続く細い路地に面影が残っていました。
彼らの家は、昔見たときに比べて当然幾分くたびれて見えました。そして私の想像と違って、家の前で洗濯物を干す人の姿もなければ、音楽も聞こえず家はひっそりと静まりかえっていました。
玄関の呼び鈴を押しましたが反応はありません。ドアの取っ手に触れて見ましたがしっかりと鍵が掛かっていました。
実は、今回の訪問、何も連絡せず全くのサプライズの訪問でした。ひょっとしたら留守の可能性もあるとは思っていたのですが、まさか本当に二人ともいないとは。
十分あり得ることなのにいざ直面してみるとちょっとショックでした。芸術家の彼らのことだから家にいるだろうと、高をくくっていたのが間違いでした。もちろん今更電話してみても留守電のアナウンスが応答するだけ、転送はセットされていませんでした。
時刻はほぼ十一時です。ひょっとしたらお昼には帰ってくるのではないかと思いました。せっかく来たのだから昼まで待ってみよう。それで誰も帰ってこなかったら仕方ありません。東京に戻ってジャズ喫茶巡りの続きをしようと思いました。
帰ってこない可能性があるので、京都の新幹線駅で買ってきた手土産をドアノブに引っかけることにしました。メモを挟んでおかなければと、鞄の中を探ってメモ帳を取り出しましたがペンが見つかりません。
そのあたりは完全な郊外の住宅地で駅からそこまでの道のり、コンビニどころか何かのお店らしき看板さえ見かけませんでした。スマホで探してみたら歩いて十五分くらいのところに一軒コンビニがありました。
コンビニまで往復三十分を費やしたので、少し待つ時間が減りました。メモを書いて所在なげに玄関先で待っていました。昨夜の雨は一旦止みましたが、空はまた今にも降り出しそうな曇り空です。
どれくらいそうしていたでしょうか、十二時が近づいていよいよ駄目かと思っていると、自転車に乗った年配の女性がやってきました。手前で自転車を降りると、何か落としたのかかがみ込んでいます。髪が赤くマスクをしています。
近所の方だろうと思って視線を外して知らぬ振りをしていると、突然「どうしたの、どうしてここにいるの」と聞き慣れた声がします。なんとその人が友人の奥さん、kahoさんでした。
髪を赤く染めてマスクをしていたので全くわからなかったのです。彼女は再会を喜ぶより驚きの方が大きかったらしく、もう一度「どうしたの、どうしてここにいるの」と繰り返し、続いて「なんで連絡してくれないのよ。今日は駄目なのよ、私もhataさんも」
彼女は昔から自分の連れ合いのことをhataさんと名字で呼びます。これから彼女は草木染めの展示会があり、hataさんは絵を教えていて、今も出かけているところで午後も用事があるとのことでした。
私は、突然で申し訳なかったわびを言い、元気な姿が見たかっただけ、無事会えて良かったと言いました。彼女は今の住居は寝泊まりしているだけで、別にアトリエを借りているのでそこへ行こうと自転車を押して案内してくれました。
道すがら「少し年取ったけれど、変わらないね」と彼女は安心したように言いました。そして、また、今日は駄目なのよほんとうにと、突然押し寄せた私の方が悪いのに、申し訳なさそうに何度も繰り返すのでした。「ほんとうにもっと暇にしている時もあるのにね」と、さも残念そうにつぶやきます。
私たち三人は、当時何をするのもいっしょの時がありました。映画を見たり、ちょっとした旅をしたり、喫茶店や展覧会に行ったり、「名曲喫茶らんぶる」を見つけてきたのは彼女でした。
彼らのアパートを訪ねると、hataさんといつも音楽や映画や文学や絵画の話をして過ごしました。その間、彼は、手で引いたコーヒーを何杯にも薄めて入れてくれるのでした。そして夜にはいつもkahoさんの手料理をご馳走になったものでした。
三十歳が見えるようになって、私が田舎に帰ることを彼らに伝えたとき、hataさんは黙しkahoさんが「歳を取ったのね」とつぶやいたのを印象的に覚えています。
自宅から十分もしないところにkahoさんとhataさんのアトリエがそれぞれ別棟でありました。古い民家をそのまま利用していて懐かしい感じのする建物です。
hataさんの絵画教室の手前には古いマークⅡのステーションワゴンが無造作に突っ込まれていました。音楽をしている息子さんがいるのでその車だろうと思いました。
kahoさんは突然の訪問者を迎えるため、慌ただしく部屋を片付け、ストーブをつけてほんの少しだけお喋りをしてくれました。お互いの来し方を話すにはあまりに短い時間でしたが。
確か、この前来た時はhataさんとはゆっくり出来たのでしたが、kahoさんはその時も何か用事があってほとんどお話しできなかったのでした。
私に孫かいると知ると、いいわねと羨ましがり、自分が出版した本を出して見せてくれました。
- 作者: 春田 香歩
- 出版社/メーカー: 偕成社
- 発売日: 2013/01/09
- メディア: 単行本
絵本を書きたいと言っていたことは知っていましたが、その夢を実現させているのは知りませんでした。彼女は真新しい本を取り出して、孫の名前をイラストともに書いてサインをしてくれました。
趣味でしているものと思っていた草木初めは今や生活の糧になっているのだそうで、これで子供二人を育てたのだと彼女は言いました。今日は午後からその展示即売会があるので外せないのでした。
髪が赤いのは驚きましたがマスクを外した彼女は、しゃべり方も表情も昔と変わりなかったですね。コーヒーをいれてくれて、それを飲み終わる頃、ようやくhataさんが戻ってきました。
元々長身痩躯ですが以前にも増して痩せて見えましたが、それ以外は彼も変わっていなかったですね。初め私に気づかなかったらしく、kahoさんの来客だと思って素っ気なかったのですが、私とわかって急に相好を崩し、どうしたの?誰かと思ったよ、と驚いたように言いました。
彼もすぐ出かけなければいけない用事があるのはkahoさんから聞いていたので、元気な顔を見られて良かったと言うと、サプライズ過ぎるよ、今夜は空いてないのと言ってくれましたが、夜はボクシング観戦なので外せないのでした。
私の相手をしながらkahoさんは忙しく出品する草木染めの商品をステーションワゴンの荷台に積み込んでいました。誰が運転するのかと聞いたらなんと彼女が運転すると聞いて驚きました。
私が知っているhataさんもkahoさんも免許は持っていません。何でも草木初めのために40歳を越えてから運転免許取得したのだそうです。
私が知っている頃のkahoさんは二十代です。その頃に比べると、当然でしょうがずいぶんたくましくなっているので驚きました。草木初めで子供二人を育てたと言う彼女の言葉には迫力と重みのようなものを感じました。
二人が出かけなければいけない時間が来ました。絵本と出品する中から選んでくれた草木初めのTシャツの土産を手に、またスマホの案内で駅まで歩いて帰ろうとすると、展示会場に行くついでと言うことで、思いがけなく彼女の運転するマークⅡステーションワゴンに乗せてもらって駅まで送ってもらいました。
運転しながらkahoさんは、お互いの元気を喜びながらも「今度はちゃんと連絡してね」と念押しされました。私は助手堰で恐縮して肯きながらも、今度はいつ来れるだとうと思っていました。
帰りの電車は所沢で西武新宿線に乗り換えて高田馬場に向かいました。私には池袋線より新宿線の方が少し馴染みがあるのです。
西武新宿線沿線の懐かしい駅名と街並みを眺めながら、今別れたばかりの彼らのことを思っていました。突然の訪問にも関わらず歓待してくれたこと、申し訳なさとせっかく会えたのに募る話もほとんど出来なかったことに心が残りました。今度はボクシング観戦のついでではなく、ちゃんと時間を取って尋ねようと思いました。