西荻に着きました。久しぶりの西荻です。正式には西荻窪なんですが、「にしおぎ」と略して呼んでいたような気がします。今もそうかもしれません。

 ホームから階段を降りて改札口まであまり昔と変わらない印象でした。改札口も当時と同じ所にあり一カ所だけでした。改札を出ると正面、ここにも駅ナカのショッピングモールがありました。

 その前では野菜の朝市が開かれる準備が始まっていました。西荻は私が住んでいた当時から、無農薬野菜とか有機野菜を売っている店があって、そういう面では先進的な所だと思います。

 駅北口を出たところから見た西荻窪駅の外観です。当然ですが、駅舎もその回りも私が知っている姿とは違ってずいぶん洗練されたように見えます。

 まず、北口駅前から吉祥寺方面に伸びる駅前のバス通りを歩くことにします。この道は伏見通りと言うそうです。私はずっと女子大通りと思っていたのですが、女子大通りはもう少し先のようです。

 歩き出してすぐ右手にモスバーガーがあります。ここに昔「リスドオール」と言うパン屋さんと喫茶店が一緒になったお店がありました。一階がパン屋さんで二階が喫茶店、昔は喫茶店を併設したパン屋さんやケーキ屋さんがたくさんあったものです。ここもそんな一つでした。

 店長さん夫妻はどちらがどっちだったか忘れましたが、北海道と九州出身者で東京で出会って結ばれたご夫婦でした。店長さんはそれまで、パンの配送運転手をしていたのにお店を任されて、ネクタイ姿がなかなか板につかない面白いおじさんでした。奥さんは小柄でしっかり者、庶民的で素敵なご夫婦でした。

 パンを買ったり、二階の喫茶店で長時間粘ったり待ち合わせに利用させてもらったりして、懇意にさせていただきました。今はすっかりモスバーガーの店舗になっていますが、色こそ違え建物の全体の印象は昔と似ています。外壁を塗り替え改築して利用しているのかもしれません。

 驚いたのはその隣の路地にあるビリヤードの看板でした。昔と同じ位置にあるように思えます。もっとも当時は電光式ではありませんでした。もちろん、回りの建物などもすっかり変わっています。

 懐かしい思い出にしばしたたずんだ後、モスバーガーの店の前を通って吉祥寺方面、私が住んでいたアパートのある方へ向かいます。空は相変わらずどんより曇り続け、膝の違和感は昨日までの達者な歩きを許しません。荷物を駅のコインロッカーに預け忘れてしまい、バッグとカメラの重みが肩に食い込みます。

 古いたたずまいです。見覚えがあるような気がするのですがあまり鮮明な記憶は蘇ってきません。そう言えば、この蕎麦屋さんの近くに畳店がありました。職人さんが店先で肘を立てて畳の縁を編んだりしてましたね。

 このお店ははっきり覚えています。私が西荻に住んでいた頃に出来たのでした。デートではないのですが、一度だけある女子大生とここで待ち合わせをしたことがあります。暗い店内で、アンティークなテーブルや椅子などが配置されていたように思います。どんな音楽が鳴っていたか記憶がありません。

 毎日通った通りですが、はっきりと見覚えがあるのは「物豆奇」だけだったかも知れません。当時コンビニはまだ出始めの頃で普及していませんでした。代わりに個人営業の小さなスーパーがありました。他にやはり小さな書店、古本屋、ケーキ屋、煙草屋、パチンコ店などの記憶があるのですが、今は面影を見つけるのも難しそうです。

 小さなスーパーがあったあたりのビル、その地下にロックのライブをやっているお店がありました。写真の撮り方が中途半端で店名がはっきり見えてませんが、こういうのを見ると西荻も頑張っているなぁと言う気がします。

 狭い通りを相変わらずバスやタクシーが通り過ぎて行きます。こういう所は昔と少しも変わっていないですね。通りはやがて突き当たって右に折れ、そのすぐ先の交差点を左に曲がると女子大通りに繋がります。

 その交差点です。正面の道が女子大通りに繋がる道です。私が住んでいたアパートはこの道の左手、交差点から数えて最初の路地だったか二本目の路地だったかを入った所にありました。

 交差点を別の角度から撮りました。白い建物は、昔もあったような気がします。色はもっと違った気がするのですが、一階のシャッターが閉まったところは当時レストランでたまに利用していました。

 交差点の左端、写真では画面中央の電信柱があるあたりに昔、公衆電話ボックスがありました。その電話ボックスから北海道に住む友人に電話するため、100円玉をいっぱい積んでかけました。それでも北海道は遠くて、普通にかける10円玉の様な勢いで100円玉が落ちていきました。携帯、スマホで自由にコミュニケーションが取れる現代では考えられない話です。

 同じ交差点を先ほどの白い建物の方から撮りました。このあたりに「さかき珈琲店」があったのです。20年あまり前に来たとき、もちろんもう「さかき珈琲店」はなくなっていて、ログハウス風の外観だけがわずかに残っていたのでした。

 ログハウス風の壁を目印に何度も探して見たのですが見つかりませんでした。以前来た時からでももう20年以上経っているので、おそらく建物ごと建替えられたのでしょう。

 「さかき珈琲店」の娘さん、現在結婚して長野在住の渡辺チエコさんのブログ情報によると「さかき珈琲店」のあったところ、今は別の方の骨董店になっているそうです。

 「さかき珈琲店」については、拙ブログ「そらへいの音楽館」のhttp://sorahei-s.blog.so-net.ne.jp/2011-07-08及びhttp://sorahei-s.blog.so-net.ne.jp/2012-11-02をご参照ください。

 渡辺チエコさんはちょうど1年前、懐かしい地元西荻で復活ライブをされたそうです。残念ながら私は行けなかったので今回西荻にはよけい思い入れがありました。


 次に私が住んでいたアパートがあったとおぼしきあたりを何回か回ってみましたが、またしてもそれらしき建物は見つかりません。以前来た時は、人が住んでいる気配はなかったのですが、アパートの建物自体は残っていました。

 この路地の一角にあったと思います。私が住んでいたアパートともう一つ別のアパートが並んでいましたが、今は一軒家しかありませんでした。路地は突き当たって左に折れ、道なりに行くと元来たバス通りに出られるようになっていました。私は帰ってくるときは先ほどの交差点のある方から帰り、出かけるときはこの路地を抜けてバス通りに出ていました。

 路地は春になるとジンチョウゲの甘い香がしていたことをよく覚えています。途中に三味線屋さんがあり、広いガラス戸の向こうで、和服を着た男の人が板の間に正座して仕事をしていました。

 今、そことおぼしき所はこんな風になっていました。

 三味線屋さんのあった路地からバス通りに抜け出たところです。

 余談ですが、数年前、確かジャズのレコードをオークションで購入した時、送り主の住所が私がいたアパートの住所と近似していたので驚いたことがあります。そんな偶然もあるのですね。

 また、アパートの近くに故丹波哲郎さんの豪邸があったのですが、今回歩いて見つけられませんでした。その道を吉祥寺の方に向かうと、武蔵野を思わせるちょっとした森があったのですが、今はわずかに木々が残り、マンションや住宅が建ち並んでいました。


 西荻時代は、私の東京生活の中でも平穏で落ち着きのある楽しい時だったように思います。東中野の西日の差すアパートから、家賃は上がるけれど、閑静な住宅街、部屋は6畳間に十分な広さの押し入れと少し広めのキッチンがあり、日当たりと風通しの良い東南の角部屋でした。トイレはまだ共同でしたが、住人は私を含めて3人だけだったので東中野とは比べものにならないくらい快適でした。

 東京女子大の脇を通り抜けた奥には、善福寺公園があって、そこへもよく散歩に行ったりしていました。井の頭公園ほど広くも有名でもないのですが、水と緑の豊かな静かな公園でした。また中古の自転車を買って、松庵の方や、西武新宿沿線あたりまで足を伸ばしたりしていました。

 東中野の生活を峻烈な夏や冬に例えると、西荻の生活は穏やかな春や秋に例えられるかも知れません。実際、それぞれのアパートでの生活を思い出すと、それらの季節の思い出が蘇ります。

 聞いていた音楽も東中野では、マイルスクリフォード・ブラウンなどのジャズをしゃかりきになって聞いていましたが、西荻では静かにピリスグルミュオーのモーツァルトなどを聞くことが多かった気がします。

 私は西荻に3年から4年いたのですが、そのうちの2年は西荻北に、残りは西荻南に住んでいました。これも先ほどの例えを引用すると、西荻北での生活は希望に満ちた春であり、西荻南は淋しい秋に例えられるかと思います。実際、私は西荻南のアパートで東京生活に別れを告げる決心をしたのでした。

 楽しかった西荻北での生活が暗転したのは、駐輪場に預けていた自転車を盗まれた頃からだったような気がします。ちょっとしたいろいろな事に不便を感じるようになりました。同時に暮らし向きが思うように行かなくなり、親しかった人と誤解が元で仲違いになったりしました。挙げ句の果ては大家さんに追い出しを食らって、泣く泣く西荻南のアパートに引っ越したのです。

 自転車を盗まれたガード下の駐輪場です。高い物でもなかったのですが、便利な足を奪われてショックでしたね。今から思えば買い直せば良かったのに、なぜか買い直すこともしませんでした。


 ジャズ喫茶「アケタの店」の入り口です。平日の午前なので、店はまだ眠ったままでした。「物豆奇」で待ち合わせた女子大生と浅川マキのライブを聞きに行きました。そこであろうことか、男の私が痴漢に遭い、騒いでしまったので浅川マキさんに叱られたという苦い思い出があります。

 「アケタの店」を見つけたとき、あれ移転したんだと思いました。「アケタの店」は通りの左にあり、独立した建物だったと記憶していたのです。しかし、「ジャズ日本列島」を調べたら、当時と同じ住所でした。私の記憶違いです。

 「アケタの店」から北口駅前に戻りました。奥に西友が見えます。当時西荻には北口と南口に西友がありました。今は、北口だけが残っているようです。少しだけ中に入ってみました。入ってすぐ左手奥、当時野菜などが売られていたところで、「さかき珈琲店」のお嬢さんを最後にお見かけしたのでした。

 西荻窪駅南口です。真正面、私が暮らしていた当時、故菅原文太さんのお店がありました。何屋さんだったかすっかり忘れてしまいました。飲食店だったと思うのですが。

  ぼんぼちぼちぼちさんの記事に登場したことがある象のアドバルーン、何処にあるのだろうと思っていたのですが、南口真正面の狭い商店街にありました。この商店街は、昔もあったと思いますが、私はあまり通った記憶がありません。

 中央線ガード沿いの道に戻って荻窪方面へ歩きます。南口は北口ほど思い入れはないのですが、それでもよく利用した食堂や喫茶店を探して歩きました。しかし、それとおぼしきお店を見つけることは出来ませんでした。

 ただ、昔利用した小さな書店が軒並み潰れている中で、ガード下マイロードにある「西荻ブックセラーズ」が健在だったのは嬉しかったですね。このお店は当時でも、店の外ではありましたが、数人が腰掛けられるベンチを設けたりしていました。

 南口のアパートもとうとう見つけることが出来ませんでした。アパートのあったあたり全体が変わってしまっているようでした。見覚えのある洋館風のお宅が近くにあったので、通りを間違えてはいないはずなのですが。

 ざっと二時間あまり歩いたでしょうか。今日行けなかったところ、もっと足を伸ばして西武新宿沿線なども歩きたかったのですが、もう時間も体力も限界に近づいていました。

 いつもならもっとお遅い時間に新幹線の指定を取るのに、歳のせいでしょうか、明日仕事と言うこともあって午後の早い時間に指定を取ってしまっていたため、残された時間はわずかになっていました。土産を買う時間なども算段しながら、残った時間をどう有効に使うか、考えながら中央線の乗客となりました。