大騒ぎの寺葬を終えた後、そのまま初七日の法要があり、檀家のもの全員が本堂で一同に介して、ねぎらいの食事が振る舞われました。食事を終えて帰路につくと、外は冷たい雨が降っていました。数日前とは打って変わって、昼間から冷たい風が吹いた日のことでした。

 親しい人に続いて今度は我が寺の住職が亡くなられました。我々檀家のものは、ここ数日、寺葬の準備、通夜、お葬式に忙殺されました。一般の弔問客はもちろんのこと、大勢の僧侶のお参りがありました。

 亡くなられた住職が我が寺に来られたのはほぼ50年前、私はまだ中学生の頃でした。住職には私の父も母も、その他檀家の多くの方々を弔っていただいたのですが、今度はとうとう弔われる側に回られてしまいました。祭壇に横たわった住職の棺に手を合わせながら、人の世の無常を感じさせられた瞬間でした。

 一夜明けて、家の裏に出てみると、遠くの山の頂がうっすら白くなっていました。昨夜の雨は山の上では雪になっていたようです。

 ここのところ仕事が詰まっていたり、暮れになってお葬式が続いたりして、自分の中で何かいろんなものが溜まっているような気がして、その溜まったものを開放したくて束の間、また裏山に行ってみました。

 ルリビタキのハゼノキはもうないのですが、やっぱり気になってその橋の上に立ってみます。もちろん、ルリビタキはおろか他の鳥たちの姿も見えません。もっと山の中に分け入ってみることにしました。

 柔らかい落ち葉の道を、音を立てないようにそうっと歩きます。気をつけていないと、足下から鳥たちがけたたましい鳴き声を上げて飛び立って行くことがあります。

 時々、鳥影が目の前の山道を横切って行きます。目にもとまらない素早さです。山道はひっそりと静まりかえって、野鳥の囀りだけが賑わっています。

 カメラを胸に、耳を澄まし目をこらして鳥影を探していると、束の間、浮き世を離れ、自分はこういう静かさが好きなんだなぁとつくづく思えてきます。

 初めに見つけた鳥影です。

 拡大してみると、どうやらツグミのようです。

 雨は上がっても、どんよりした曇り空の日でした。ましてや木々で覆われた山の中は、夕暮れのような暗さです。フィフィ、フィフィと軽い口笛のような鳴き声がします。ウソでしょうか。ずっと以前、野鳥を撮り始めの頃、この道でウソに遭遇したことがあります。

 バサバサと羽ばたきの音が近くでしたと思うと、私の数メートル前の木に止まって、若芽を啄みはじめたのです。そのときはまだコンデジだったのですが、あんなに間近でウソが撮れたのは、その時きりのことです。

 いました、いました。ウソの雌です。なにかの実を啄んでいます。

 ここでは二羽並んでいます。

 朱い襟巻きをしているのが雄です。

 今年はウソを見かけたのが早い気がします。当たり年なのでしょうか。彼らは数羽の小さな群れで行動します。桜の蕾をぼろぼろと音をさせて啄んでしまうことがあります。そうすると、当然ですが春の桜の開花は淋しいことになってしまいます。

 山にはこんな光景もあれば、

 冬の始まりというのに、もう来春の支度をしているものもあります。