珍しくイベントが続いております。先週金曜日、WBCバンタム級世界チャンピオン、山中慎介選手の10度目の防衛戦が、準地元京都であり応援に行ってきました。

 さしてボクシング好きでもない私なのですが、たまたま彼の父親と叔父(二人は双子)と中学の同級生だったため、その御縁でここのところ、大阪、東京、京都と連続して応援に行っています。

 今回も地元からバスが何台も出て、私たち同級生も応援バスに便乗しました。会場は島津アリーナ(京都府立体育館)です。当日はタイトルマッチが二つ組まれていましたが、もちろん慎介選手はメインイベントで、TV放映もありました。

 リングサイドには、慎介選手の高校の後輩である村田諒太選手も姿を見せていました。京都会場と言うこともあってか、東京での試合ほど有名人の姿は見かけませんでした。

 相手のリボリオ・ソリス選手は、慎介選手と同じ33歳ですが、精悍そうに見えます。軽量オーバーで失格ながらも亀田大毅選手にも判定勝ちしている日本人キラー、強敵です。防衛も10度目と言うことで、いつもながらではありますが応援する方もチカラが入りました。

 赤いガウンをまとってリングに上がった慎介選手、ガウンを着たまま盛んに身体を動かしています。地元と言うこともあって、いつも以上に気合いが入っている様子です。

 慎介選手はじめのうちは、余裕の距離感で戦っているように見えました。軽く、ダウンを奪う場面さえありました。ところが3回でしたか相手の右をいきなり食らってダウンです。

 チャンピオンになって確か二度目のダウンだったと思います。すぐに立ち上がったものの、さらにまた右を食らってこのラウンド二度目のダウン、これには観客席からも悲鳴が上がりました。会場は怒号のようなシンスケコールの大合唱でした。

 このラウンドであと一回ダウンしたらノックアウト負けです。ラウンド3分のなんと長く感じられたことか。ゴングが鳴って何とかノックアウト負けを逃れました。ソリス選手、倒し切れなかったので自分のコーナーに戻る時、地団太踏んて゛悔しがっていましたね。

 この思わぬ劣勢に我々は心配しましたが、同級生の一人、ボクシング通のY君がこれで落ち着くと言った通り、その後は終始慎介選手の右、左が的確に相手にヒットする展開となり、ノックアウトは出来ませんでしたが余裕の判定勝ちでした。

 ひやひやさせられる場面もありましたが、さすが10度目の防衛戦、ダウン以降は巧さと冷静さが目立った試合運びでした。同じひやひやさせられてもこの前の東京のようなことは無かったですね。慎介選手、勝つテクニックを身につけて、また一回り強くなったのではないでしょうか。



 

 試合が終わって、同級生13名で木屋町に繰り出しました。行った所は同級生の一人が案内してくれた、アメリカン・グラフティというお店、バンドと60年代の衣装をまとったお嬢さんが二人、60年代ヒットナンバーを歌い、ホールでは観客が踊りまくります。

 最後は、慎介選手の親父も加わって、歌ったり踊ったりが苦手な私も、皆といっしょに身体を動かしました。たぶん外目にはぎこちないラジオ体操くらいにしか見え無かったと思いますが、誰も見ている人はありませんね。


 今日はジャズを離れて60年代のナンバーから


 60年代というと私は10代、この歌はザ・ピーナッツの歌で記憶があります。この夜も確か歌われていたと思います。