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野球づくし [その他]

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 先週から一週間後はこのような空になりました。

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 まだまだ昼間は35度の猛暑が続いていました。

 お盆を過ぎて、雷が鳴り響き、猛烈な雨が何度も降りました。川には茶色く濁った水が川幅いっぱい踊るように流れていました。あれがもっと長く続いたら災害になるのでしょうね。

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 雲がちょっと秋めいてきました。

 今朝起きたら、妻が寒くて何度も目を覚ましたと言います。いつもの夏の格好のまま寝ていたようです。私は用心して寝ましたのでぐっすりでした。朝は涼しくて身も心も蘇るようでした。

 朝一で畑に出ます。スイカ、トマト、一次キュウリ、トウモロコシなどを撤去した畑は、がらんとして淋しいです。ここの夏はもう終わりです。ナスとピーマンとオクラ、キュウリを収穫して戻りました。


 ここ数日、テレビで高校野球を見ている時間が多かったです。昨日ベスト4が出揃いました。3回戦と準々決勝の間、準々決勝と準決勝の間それぞれに休みが設けられるようになって、選手や関係者の健康のために良いことだと思います。

 準々決勝前日は試合がなかったので、プライムビデオでも見ようかなと開いたら「フィールド・オブ・ドリームス」が会員無料リストに出ていました。

 先日のニュースで大リーグ、シカゴ・カブスの鈴木誠也選手がトウモロコシ畑から出てくる写真がアップされていました。MLBでは去年からこの映画にちなんで「フィールド・オブ・ドリームス・ゲーム」を開催していて、今年は鈴木選手が出場して先制点を挙げたそうです。



 「フィールド・オブ・ドリームス」は1989年に公開された映画です。主演はケビン・コスナーです。その当時は知りませんでしたが、同じプライムビデオで一度見ています。

 しかし、トウモロコシ畑の間に作られた野球場の印象だけが残っていて、ストーリーを思い出せません。その時はベースボールの映画と思って見たので期待外れ感が大きかったのだと思います。因みに、ブラッド・ピット主演の「マネーボール」もそんな感じでした。

 見直して良かったです。ファンタジックでちょっとほんわかする物語です。アメリカの歴史あるスポーツ、ベースボールを通して、成長した息子が死別した父親にたどりつく物語です。

 登場する大リーガーたちは、有名だけど永久追放された選手とか、たった一度だけ守備についただけの無名選手(バート・ランカスターが演じていました)だったりします。物語の主人公の父親も大リーガーを目指してなれなかった一人でした。

 主人公は父が好きだったけれど父のようにはなりたくなかったのです。しかし、若い頃、父に反抗して家を出てしまい、父の葬式でしか再会できなかった心の傷をずっと持ち続けていました。声が彼に呼びかけるところから物語が始まります。

 私は、物語の佳境で主人公が父にひどいことを言ってしまったと同行のテレンスマンに告白する下りで引っかかりました。

 私も若い頃、父にひどいことを言ったことを思い出したからです。父と子、誰にでもあることなのかも知れません。そう言えば、私も息子からひどいことを言われました。

 父親は、息子の言葉にグサリと胸を突かれながら、仕方なさそうに笑うしかありません。その通り、しかしおまえにもいずれわかるときが来ると。

 
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 タカサゴユリが咲き出しました。



 今日のは誰もが知る日本のプレイヤーナベサダこと渡辺貞夫です。ずっと日本のジャズ界を牽引していった人ですね。カリフォルニア・シャワー、陽気で乗りのいい曲です。



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もらい事故Ⅱ [その他]

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 4月も今日で終わりです。そしてゴールデンウィークが始まりました。しかし、もう一年以上経つというのにコロナ禍、収るどころか変異種の出現などもあって状況は悪化して行っているようにさえ感じます。

 頼みのワクチン、我が市でも接種が始まりました。85歳以上の方からです。私はぎりぎり60代なので一番最後の5月末らしいのですが、国からのワクチン供給状況に合わせてと言うことなので予定通り行くか心許ない気がします。


 もう一月以上前のことになります。片側一車線の小さな交差点で信号待ちをしていました。青になったので発進、交差点の真ん中を過ぎたあたりで、後席にいた妻が突然「来る、来る」と叫びました。何のことかわからず左右を見回したとき、右の車窓にピンク色の影が見えました。

 あっと思い「来るな」と心の中で叫んだのは前回の事故と同じでした。しかしそう思ったとほぼ同時にガシャッと音がしました。とっさのことなのでぶつかる前にブレーキを踏んでいたのか、ぶつかってからブレーキを踏んだのか覚えがありません。

 ぶつかって来た車は私の車を追い越して私の前で停止しましたが、車通りが多かったのですぐ脇の建物の駐車場に入るように指示しました。

 ピンク色の軽自動車の運転手は中年の女性でした。降りてきてすぐに「すみません。前を見ていませんでした」と謝ってきました。そして私と妻の身体を気遣い怪我は無いかと聞いてきました。

 二人とも怪我はありませんでしたが、車を降りて自分の車を見ると右のフェンダーが凹み、バンパーが外れかかり何故かナンバープレートまで歪んでいました。二年前のもらい事故の時とほとんど同じ箇所です。

 人を乗せて事故に遭うのはこれが初めてのことです。妻もちょっと興奮していました。相手の女性は事故を起こすのは初めてと言っていましたが、冷静に戻った妻は女性の免許証にゴールドのラインも青い優良運転者のラインも入っていないことを見ていました。

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 警察は相手の女性が呼びました。その時、相手の女性が若い警察官に私が対向車だったと言っているのが聞こえました。警察も私の車を見てナンバープレートが歪んでいたので正面衝突だと思ったようです。それで、へこんでいるフェンダーを見せて青信号を直進していたら突然右からぶつかって来たのだと言いました。

 その場は互いの連絡先を交わしあい、あとは保険会社に任せると言うことで別れました。後日、相手方の保険会社から事故の模様の聞き取りがありましたので、私はそのままを伝えたのですが、相手の女性の言動があやふやで困っている様子でした。

 その折、保険会社の方から誰か事故を証明してくれる人はありませんかとか、ドライブレコーダーはありませんかと聞かれました。ドライブレコーダーについては私の保険会社からも言われましたが着けていませんでした。

 私は青信号で発信して交差点を直進していただけなのですから、これ以上何に注意したら良いのか、どんな落ち度があったのかわかりません。

 相手が100%悪いと高を括っていましたが、交通事故の場合めったに100-0にならないと聞きます。二年前の事故の時は私の車は停止していましたが、今回は動いていたのでどのような過失を問われるか少し不安でした。

 相手の女性が事故当時、前を見ていませんでしたと言っていたと保険会社に伝えたのが効いたのか、車の傷の状況や相手の曖昧な言動から判断されたのかわかりませんが、私の主張が通り相手100%と言うことで解決しました。

 相手の女性が私の車が対向車であったと主張していたのは、多分、信号無視を警察に咎められたくなかったからだと思います。しかし、もし相手が強硬に主張したら証明するものがないので面倒なことになったと思います。

 二年前の事故の時も、全面的に相手が非を認めたからよかったものの、たちの悪い相手だったら嘘をついてでも自分を正当化することもあり得ますから、ドライブレコーダーの必要性を感じたのに着けていなかった事を後悔しました。

 私の車は保険会社の査定では26万円(笑)だったそうです。修理代が39万円に代車代が6万円ほどかかったそうです。ナンバー、ヘッドライト、アルミホイール、フェンダー、バンパなどが交換になりました。

 二週間ほど代車生活で不便を被りましたが、無事、相手100%で解決し車も元通りになって帰ってきたので、今度はすぐにドライブレコーダーを取り付けに行ってきました。

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 現行品よりひとつ前の型なので少し安くなっていました。取り付けてから1・2日走ったあとで、パソコンで画像を見てみましたが思った以上に綺麗に映っていました。

 それにしても二年半ほどの間に二度ももらい事故に遭うとは全く災難です。いずれの事故も車の損傷だけで、私も妻も怪我がなく済んだことは不幸中の幸いでした。

 車の損傷箇所が二年前の事故の時とほぼ一緒というのも偶然とは言え驚きです。私の車、右フェンダーあたり呪われているのでしょうか。ヘッドライトも前回交換しているのに今回も交換して、左側のヘッドライトと輝きの差が目立って変な具合です。

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 田植えの頃になると咲き始めるナガミヒナゲシが群がって咲いていました。

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ひととき [その他]

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 TVニュースなどで紅葉の便りが聞かれる頃になってきました。風もなく穏やかに晴れた日、出かける用事があったのでそのついでに鳥目的で三上山の麓にある公園に寄ってみました。


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 紅葉はまだ早いのかもう散った後なのかあまりきれいではありませんでした。この落ち葉が散り敷いたあたりで野鳥の声が盛んにしていました。

 ひときわ大きな声で歌うように囀っていたのは何の鳥だったのか、その声に混じって地味なウグイスの地鳴き、ジョウビタキ、シジュウカラの声などがしていました。

 50センチ以上はあろうかという望遠レンズに三脚を立てて構えている人がいました。レンズは長いのにカメラは驚くほど小さくて、今流行のミラーレスなんでしょうね。

 何の鳥を狙っているのか聞いて見ましたが教えてもらえませんでした。ひょっとしたらその方も囀りに惹かれているだけで何の鳥かわからなかったのかも知れません。

 その方の邪魔にならないように近くで私も手持ちのカメラを構えましたが、声はすれどもなかなか姿を現してくれません。

 そのうち歌うように啼く鳥の声が遠のきました。その方も三脚を持ち上げてその声が移動していった方向に行ってしまいました。

 私は同じ場所で、せめてジョウビタキでもとしばらく待ちました。かなり近いと思わせる大きな声がするのに姿が見えません。この公園は、野鳥でちょっと有名なのですが鳥を撮るにはまだ少し葉が茂りすぎているのかも知れません。

 用事を済まさないといけいない時間が来ました。結局、この日は鳥果なしと言うことで慰めにあたりの写真を撮って引き上げました。

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 三上山を背景に。


 今夜のJJohnny Griffin(ジョニー・グリフィン)です。彼は70年代から活動の場をヨーロッパに移していたそうです。私は大人?になってからその存在を知りました。

 ビデオのグリフィン・カルテットは、まるで昔の日本のフォークミュージシャンのような出で立ちと気軽さですね。



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テクラガリ [その他]

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 いつの間にか朝晩が寒く感じられるようになってきました。今夏は記録的な酷暑、その後相次ぐ台風の襲来があり、気づいてみたらいつの間にか秋に着地していました。しかももう深まり始めています。


 この間、新聞か何かで「手暗がり」という言葉に行き当たりました。テクラガリ、懐かしい響きです。最近はあまり使われていない気がします。

 子供の頃、私は漫画を読むのが好きでした。漫画と言っても今のコミックとは違って少年雑誌に載った冒険漫画や探偵漫画などです。

 その頃は週刊誌ではなく月刊誌でした。毎月一冊買ってもらって、飽きるまで何度も読み直し、飽きると半紙を親からもらって気に入った漫画の絵を写したり真似て書いたりしていました。

 その作業を私はいつも寝る前に寝床でする癖がありました。寝床で腹ばいになって漫画を読んだり写したりしていると、決まって父がテクラガリになっている、目が悪くなるから止めて早く寝なさい、と注意するのです。

 昔は、今のように光りが部屋に満ちあふれてはいません。さすがに裸電球ではなかったと思いますが、笠を被った電球か、もしくはせいぜい短い蛍光灯が一本天井からぶら下がっているだけでした。ワット数も低かったと思います。

 テレビを買ってもらう約束で、月刊誌の毎月の購入はなくなりましたから小学4年生頃までの記憶です。それ以降、寝床での手暗がりで漫画を読んだり書いたりする作業もなくなりました。

 昔の人はもの書いたり読んだり何か細かい作業などをするとき、手や身体の影にならないように気をつけたのだと思います。光り溢れる現代ではもう死語に近くなっているのかも知れませんね。

 全てにおいて無頓着な私と違って、父はわりとそういう細かいことに気がつく人でした。テクラガリと言う懐かしい言葉から、久し振りに父のことを思い出したある秋の日のことです。

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 今夜からHからIに移行します。しかし、Iの頭文字のジャズミュージシャンも乏しく今夜限りになります。Illinois Jacquet(イリノイ・ジャケー)演奏より、その変わった名前で記憶に残っています。レコードは一枚持っているだけです。しかもあまり聞いていません。今夜久し振りにYouTubeで聞きました。
 


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お休み [その他]

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 今週はおやすみします。

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大きくなりました [その他]

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 サクラの季節が過ぎて、ふと見上げると周囲の山々がもう緑色のグラーデーションに色付いています。え、こんなに早かったかなぁと思いながら、植え込みや雑木林などでも鮮やかな緑の若葉を目にするようになってきました。

 田舎に帰ってもう40年近い歳月が経ちました。その間、毎年目にしているのですが、何度見ても周囲の山々が春は緑のグラデーション、秋は燈色のグラデーションに色付くのを見ると新鮮な気持ちになります。

 サクラが散って以降、雨の多い気温の低い日が続きました。一転、この週末は夏日だとか、風薫る5月ももうすぐそこです。

 新年度が始まってあちこちで新しい生活が始まり出しました。下の孫は幼稚園に通い出し、職場にも新入社員が入ってきて、老兵はどこへ身を置けばよいのかまごまごするばかりです。


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 600グラムの極小未熟児で生まれた姪のMEGUMIもこの春から中学生になりました。中学校の門の前で新しい制服に身を包んで笑顔でVサインをしています。

 生まれてすぐに腸が繋がっていないとかで手術を何回も経験したりして、長い間、NICUにお世話になっていました。

 ようやく退院しても物がうまく食べられず、食べたものを歯の裏にため込んでいたりして、この子はちゃんと育つのだろうかと思いました。

 我が家にたまに遊びに来ても、すぐにゼイゼイと言い出して、義妹がそのたびに痰の吸引をしなければいけませんでした。

 吸引の音を聞くと、父が瀕死の重病でICUに入っていたときの吸引の音を思い出してしまいます。何の因果で、弟の幼い娘がまた同じ目に遭わなければいけないのかと思いました。

 食事は経口で取れなくても、遺漏で高カロリー補給されているので成長は順調でした。とくに小学校に入り出してから成長は早く、吸引しなければいけない間隔も次第に延びていきました。

 最近では我が家に来ても一度も吸引しなくても良いようになりました。遺漏もとうに卒業していてそのための穴も塞がれたそうです。

 ただ、未熟児軟化症のため、彼女は人工声帯なしではしゃべれません。写真の制服喉元にある小さく白い物体が人工声帯です。彼女の声は電話などだと明瞭に聞こえるのですが、面と向かうと機械的な音がして聞き取りにくいのです。

 私たちはおろか、彼女の父親も母親も、彼女自身さえ自分の声を聞いた事がありません。あとここだけ治ってくれたらと私たちはずっと思い続けていました。

 それが今年、ようやく体力が付いてきたと言うことで、夏休みを利用して手術が受けられるようになりました。ただ、うまくいっても半年は声が出ないそうです。義妹の話では、喉から気管までのその数センチが難しいのだそうです。

 我々にとっては当たり前の声を出すことを、彼女は生まれてから13歳まで経験していないのです。これまでと同様、持ち前の生命力で今度もうまく乗りきってくれることを願うばかりです。

入学おめでとう(2012年、小学校入学)

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 今夜のジャズ、頭文字FFreddie Hubbard(フレディ・ハーバード)です。彼を初めて聞いたのは、オリバー・ネルソンの「ブルースの真実」でした。このときの彼のプレイに感動したのですが、その後、マイルス・デイビスやクリフォード・ブラウンを聞くようになってあまり聞かなくなってしまいました。リーダーアルバムではありませんが、やはり「ブルースの真実」を選ぶことにしました。



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ボクサー [その他]

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 3月1日、山中慎介選手の応援に東京へ行ってきました。例によって、慎介選手の父親の同級生一団といっしょに両国国技館に集合したのですが、結果は皆さんご存知の通り残念なことになりました。

 満員の両国国技館は、普段にもまして慎介選手の応援が多く、対戦相手のネリ選手が登場すると、会場はブーイングの嵐でした。私の後ろで帰れと叫ぶ人も何人かいましたね。

 普通はいくら贔屓選手の対戦相手と言っても、敬意を払って拍手が起こるのですが今回は一切ありませんでした。と言うのも、ネリ選手は前回、薬物違反騒動を起こしている上に、あろうことか今回は試合前軽量で体重オーバー、タイトルを剥奪されてしまったのです。

 この情報が2月28日に入ったとき、え、試合はどうなるの、と思いました。私はすでに上京していたのですから。試合が中止になると思ったのでした。

 結局試合は挙行され、ネリ選手は王座剥奪、慎介選手は勝てばチャンピオンに返り咲くことが出来ると知って少しほっとしたのでした。

 それにしてもボクシングの体重制を覆す暴挙です。ネリの体重は一階級上のリミットさえ超えていたそうです。これでは体重制の意味がありません。

 負けてから言うのも何ですが、本当は試合をしなかった方が良かったのかもしれませんね。テレビの放映権の損失や入場料の払い戻しはルール違反を犯したネリ選手が負担すれば良いのです。

 もっと遡って、薬物違反が発覚した時点で、あの試合は無効試合になっても良かったのではないかと思います。何せ、ネリはルール違反をしているのですから。


 試合前、リングアナウンサーはネリ選手が体重オーバーによって、王座を剥奪されたことを説明し、前チャンピオンと紹介してました。

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 この時点では慎介選手、会場の雰囲気を察してか余裕あるように見えます。アメリカのボクシング誌が慎介選手に贈ったチャンピオンベルトが高々と掲げられています。


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 こんないい加減な選手、慎介選手の神の左で成敗して欲しいと誰もが思ったのですが、現実の世界は物語のようには行きませんでした。試合が始まって1ラウンド後半、慎介選手早くもダウンを奪われてしまいました。

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 慎介選手の試合の時、東京でも大阪でもいつもこのラウンドガールです。嫌な予感がしていつもより早めに彼女の写真を撮ったのですが、なんとこれが最後になってしまいました。

 2回1分2秒TKO負けです。会場で見ていても足に来ているのがわかりましたね。あまりにもあっけない幕切れでした。まだ前回のタオルを投げられた試合の方が、形をなしていた気がします。

 私たち親父の同級生応援団は、勝っても負けてもこれが最後という気持ちで応援に行ったのですが、それが本当になってしまいました。試合後、慎介選手は引退を表明したそうです。

 遅咲きのチャンピオンだっただけに12連勝のうちに歳を重ねてしまった面もあるとは思います。タイトルを守り続けることの疲労もあったのではと思います。

 とくに最後のネリ選手と対戦するようになってから、何かが狂ったように運命にもて遊ばれました。前の試合、慎介選手は勝って引退することを考えていたそうです。

 ネリ選手の薬物違反が発覚して、その処遇が長い間はっきりしませんでした。その間、慎介選手は宙ぶらりんの状態に長く置かれました。

 やっと対戦が決まって、リベンジの思い強く臨んだところ、今回の体重オーバーですからね。負けは負けにしてもなんとなくしっくりしない面もあると思います。

 勝負の世界は厳しいもの。勝たなければいけないのですが、この試合にかけた彼の気持ち、努力を私たちは知っています。

 私たち慎介選手の父親同級生応援団は、彼のおかげで東京に何度も行くことが出来ましたし、京都や大阪の会場にも足を運ぶことが出来ました。彼の活躍が無ければ、ボクシングの試合を楽しむことなんてことは無かったと思います。

 彼を魚に、彼の親父の同級生たちが酒を飲んでいるなんて話もあるくらい、同級生たちも彼のおかげで楽しみ、盛り上がりまとまることが出来たのだと思います。彼もまた、我々の集まりに顔を出してくれたこともありました。

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 ともかくお疲れ様、そしてありがとう。山中慎介チャンピオン。


 


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日曜の午後は芝居見物 [その他]

 先週の土曜日あたりからずっと雨ばかりです。木曜日に久し振りに晴れ間が見えましたが午前中だけ、その夜にはまた雨でした。しかもその間気温が低くて11月半ば並みとか、暖房機間に合わず重ね着したり厚手の服を着込んだりしてしのいでいます。

 音楽を聞いているときとか、身の回りの野花など何でも無い時間を報告するのが好きなのですが、日曜日にイベントがあるとそのインパクトの強さに負けてしまいます。今回も先週の日曜の報告になります。

 朝から冷たい雨の降る日でしたが、午前は営農の出役でした。仕事内容は、麦の種子に消毒薬をまぶすことです。初めてする作業でしたが、たいしたことないだろうと気軽に倉庫へ向かいました。

 ところが麦の種子は30キロの袋が35袋もありました。運んだり重量を量ったり薬剤をスコップでかき混ぜる作業からまた袋に戻すまで全て手作業です。作業は3名、まだ一時間しか経っていないとか、あと半分とか声を掛け合いながら進めました。

 何とか予定通り午前中に終わる事が出来ました。思っていた以上に身体を使う仕事に、普段使わない手足や腰が疲労を訴えていました。農業の仕事に楽な仕事はないと再認識したのでした。

 マスクや手袋をしていても全身に消毒薬を被っているので、家に帰るとすぐにシャワーを浴びました。気温が低かったので熱めのお湯でした。



 一休みして午後からは珍しく芝居見物です。

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 地元の劇団の方たちによる公演で今年で四年目だそうです。初回から松竹新喜劇の人が応援に入っています。ちょっとした知り合いが出演しているのでチケット購入していました。

 芝居というか演劇見物は本当に久し振りです。高校時代から京都会館へ民芸の公演などを見に行ったりしていました。東京でも、コンサートほどではないですが時々見に行ってました。帰郷以来記憶が無いので、約40年振りかも知れません。

 開場時間ぎりぎりに行くと、雨が降りしきる中ホール入り口は開場を待つ人の列が出来ていました。何とか駐車場を見つけて大急ぎで列の最後部に並びました。

 席は全席自由席なので早いもの勝ちです。客席入り口から観客席に入った時、手前はほとんど埋まっていました。空席を探して歩いていると、知っている顔がいくつかありました。お互い手を上げて挨拶です。しかし、立ち話をしている余裕はありません。席を見つけなければ。

 入り口からいちばん奥まった舞台の左袖の方に空席の塊が見つかりました。入り口付近はいっぱいでも奥はまだ余裕でした。おかげで舞台から左寄りではありますがちょうど真ん中に近い席を確保することが出来ました。

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 (どこでも撮影、録音は禁止なので撮った写真はこれ一枚です)

 ホール客席は502席、もちろん開演前には全ての席は埋め尽くされました。ここの観客席の特徴は傾斜が強く舞台に向かって切り立っていることでしょうか。客席は舞台を見下ろすように配列され、客席からは舞台の床が見えます。後ろの席でも舞台の隅々まで見渡せる配慮でしょうか、それとも立地条件でしょうか。

 時間が来て緞帳が上がる瞬間は芝居を見に来ていつもわくわくする瞬間です。初めに子供と大人による童話のミュージカルが約一時間ありました。


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 「ヘンデルとグレーテル」と言うと”お菓子の家”がすぐに思い浮かびますが、ストーリーはほとんど忘れています。ヘンデルとグレーテルが貧しさのために森に捨てられるという筋は覚えていなかったのでちょっとショックでした。

 森をさまよい空腹のあまり、魔女に魔法をかけられた子供たちによってお菓子の家に導かれ、魔女に閉じ込められますが、グレーテルの機転で魔女をパン焼き釜に押し込みます。ヘンデルだけでなく皆の魔法が解け、ヘンデルとグレーテルは父親と再会すると言うお話でした。

 子供たちと数人の大人で構成された合唱ミュージカル、登場する子供たちが可愛く歌も上手、孫に見せたら喜んだかなぁと思いました。

 役15分の休憩のあと、本日の出し物「こなんヒストリア」による「知らぬが仏」です。

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 ストーリーは地元の歴史を題材に明治23年、鉄道が敷設されて客足が鈍り始めた宿場街にある一軒の宿屋と茶店が舞台、茶店の娘の恋や手放した子供と再会する女中の苦労話などを挟みながら、宿屋の一家にもたらされた父親の遺産を巡る愛憎を描いた人情喜劇です。

 最近は見る機会がありませんが、子供の頃、親と一緒に見ていた松竹新喜劇を思い出す内容でした。一幕二場でセットも吉本新喜劇で見かけるようなものでした。涙と笑い、涙の方はさすがに現代ではつらいところがありますが、笑いはいつの時代でも共通ですね。

 松竹新喜劇の人が4名参加されていました。さすがプロ、声の通り立ち居振る舞いが違いました。主役級を演じるのかと思ったら、あくまでサポートの脇役で、主だった役どころは劇団の人たちでした。劇団員の人たち、皆さん達者なので驚きました。声もよく通り、笑いの取り方、間など玄人はだしです。

 わかりやすいちょっとしたミスもありましたが、それもご愛敬です。親の遺産を巡る家族の悲喜こもごも、何回かのどんでん返しのあと最後はお決まりのハッピーエンドです。一時間半あまりでしたか、久し振りの芝居見物、楽しめた気がしました。

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 写真は撮れなかったので、パンフレットとフェイスブックからお借りしました。
  

 今日のDで始まるジャズミュージシャンはDiana Krall(ダイアナ・クラール)です。彼女のコンサートに行って一年になるのでしょうか。ずっと前のような気がしています。
 今でもたまにYouTubeを見てコンサートの雰囲気を楽しんでいます。このコンサートをきっかけに出不精の私がいくつかのコンサートに通うようになりました。今日はその時にも歌ったDesperadoです。


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夏の夜の夢 [その他]

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 お盆が過ぎたら、待っていたようにタカサゴユリがあちらこちらで白い花を咲かせるようになりました。蒸し暑い、この暑さいつまで続くのだろうとついこぼしてしまいますが季節は進んでいるようです。

 東京は8月に入って毎日雨、先日は10月の気候だったとか。関西は30度を超える日が多いですが湿度が高く、今年の夏はずっと梅雨の中にあったような気がします。


 8月15日、お盆の最中ですが今回も同級生仲間と山中慎介選手のタイトルマッチの応援に行ってきました。京都は午後から雨、涙雨にならなければいいがと私が言ったら、「変なことは言わないの」と叱られてしまいました。

 別の一人が、「慎介君の試合はいつも雨降りや」と助け船を出してくれました。そう言えば、今年の3月、両国国技館での試合も雨降りでした。

 今回は具志堅用高選手の13連勝に並ぶかも知れない試合です。でも彼本人も「負ける姿を見せたくない」と言っているのと同じように我々応援団も、13連勝云々より毎試合、彼に勝って欲しい、負ける姿を見たくないと思って応援に行っているのです。その連続でここまで来ました。

 会場の島津アリーナ(京都府立体育館)は超満員でいつもにも増して熱気に溢れているように思えました。山中慎介選手の名前がコールされた時の、会場のあのどよめきは今まででもいちばん大きく感じました。

 私たち同級生仲間の応援席は、今回少し場所が悪くて二階の角っこです。写真を撮るには少し遠いので、ちょっとでも近い場所を求めて移動しました。

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 絶好の場所を見つけて撮ったうちの一枚がこれです。調子に乗ってバシャバシャやっていたら、係の人に通路で写真を撮らないで下さいと言われ、自分の席近くにすごすごと戻りました。

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 具志堅選手の13連勝に並ぶと言うことで、今回は試合前も慎介選手のメディア露出は多かったし、試合が終わってからも、ネットなどではいろいろ取り上げられていますが、我々の応援、会場全体、テレビ桟敷の人たちの応援も空しく、今回彼は敗れてしまいました。

 ずっと勝ち続けることは不可能です。いつかこの日は来るのだと、応援に行くたびに思っていましたが、それが8月15日でした。プロになって30戦、初めての敗北でした。

 彼が劣勢の時の会場の悲鳴は、今まででも何度も聞きました。しかし、突然試合がストップしてしまった時のあの間、沈黙は初めてのことでした。

 私たち応援団は皆、表情を失い棒立ちでした。言葉もありません。退場していく慎介選手に沸き起こる慎介コール、その中をタオルで顔を覆いしゃくり上げながら退席していく一人の若者がいました。

 私は、もうボクシングを見に来ることは無いだろうなと思いながら、仲間とともに会場をあとにしました。外はやはり雨でした。



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 山中慎介選手、お疲れ様、そしてありがとう。











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V12、おめでとう! [その他]

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 暖かさと寒さが行ったり来たりの3月になりました。いつもじれったい思いをさせられる3月なのですが、今年は2月が寒かったので、3月の声を聞いただけでほっとさせられます。やっと雪景色の写真からも開放されて、久々の畑の写真、ジャガイモを植えた畝です。


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 3月2日、我が同級生の息子、山中慎介WBC世界バンタム級チャンピオンの12回目の防衛戦が東京は両国国技館で行われました。去年は、京都と大阪で防衛戦があり東京はなかったので、2年振りです。また、同級生一団で応援に行ってきました。

 会場の両国国技館は初めて入りました。東京在住中の大昔、蔵前国技館で大相撲を見たことはあるのですが、こちらの方が広くてきれいで、さすが国技、大相撲が催されるところだと思いました。

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 両国駅構内に大相撲のパネルと力士の手形が展示されていました。

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 駅と国技館の間にある両国観光案内所です。

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 この建物の中には、お土産屋さんや飲食店があり、真ん中には土俵がこしらえられていました。

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 東京はこの日、午後から雨でした。観光案内所を出るとすぐに江戸東京博物館がありました。時間があったら入りたいと思いましたが、すでに入館時間は過ぎていました。その向こうに見えるのが両国国技館の建物です。

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 入場する人の波。タイトルマッチは午後8時からですが、私たちは6時半頃入場しました。

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 まだタイトルマッチまで時間があるので席は空席が目立ちます。

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 大相撲が催されるときは、天井につり上げられた櫓が降りてくるのでしょうね。館内をぐるっと取り囲む優勝力士の額、日本出身力士の優勝が途切れて久しかったのですが、先場所やっと稀勢の里関が優勝しました。

 しかし、何度も見回してみたのですが、稀勢の里関の優勝額はまだ飾られていません。一番新しいのが、その前の場所で優勝した鶴竜関のものでした。

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 午後8時、いよいよタイトルマッチです。挑戦者カルロス・カールソン選手に続いて、山中慎介チャンピオンがやや緊張した面持ちで登場です。

 画面右下に前回の大阪でチャンピオンの返り咲いたあと、引退した長谷川穂積元チャンピオンがテレビの解説者とし観戦しているところが写っています。

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 この左はヒットしたのでしょうか。今回、一発で決めようと力んだのか、とくに前半、左が空振りになって流れるシーンが多かった気がします。チャンピオン、ふわふわした感じでした。

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 挑戦者はカルロス・カールソン選手は26歳のメキシコ人、戦績は23戦22勝(13KO)1敗です。初めての世界戦挑戦だそうです。

 格下の相手だったのでしょうが、ボクシングに限らずスポーツ、勝負事は生もの、油断は禁物、何があるかわからないので、見ている方はハラハラドキドキでした。

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 ロープに追い込んでいます。

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 左ボディが決ってますね。

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 挑戦者は都合5度ダウンしたのですが、このダウンは何度目だったのか。

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 テクニカルノックアウトで勝利が決まり、セコンドに肩車されて場内を回る慎介チャンピオン。画面左上、客席にレスリングの吉田沙保里選手らしき姿が写っていますね。

 勝負が決る瞬間はいつも興奮してしまって、冷静にファインダーを見ることが出来ません。カメラらから目を離し、他の観客たちと一緒になってコブシを突き上げ、叫んでいました。

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 チャンピオンベルトを肩から掛けて、カメラに向かってポーズを取る山中慎介チャンピオン。12度目の防衛おめでとう。

 試合自体は相手が格下だったせいか、前回のモレノ選手の時のような緊張感はありませんでしたが、やはり勝利が決るまでは、相手のラッキーパンチがあたることもあるので心配でしたね。

 実際今回も、5度もダウン奪って楽勝のように思えましたが、ひやっとさせられる場面もあった気がします。ま、我々ファンとしては、勝ってくれればそれで良いのですが。

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 このあと私たちは、東京で合流した3人と合わせて10名で先ほどの両国観光案内所にある「霧島」と言うちゃんこ屋さんで、祝勝会、勝利の美酒に浸りました。


 連休を取ったため仕事が詰まってしまい、その後ブログの更新はおろか皆さんのブログへの訪問も滞っていますが、少しずつ追いついていきますのでよろしくお願いします。

 応援と称しての東京行き、実は今回もそれに便乗して懐かしい東京の街や人に会ってきたのですが、その話はまた次回以降にして、今日はまず防衛戦の報告でした。


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