4月7日にたいへーさんがボブ・ディランの記事をブログにアップされたときは、私の行動を見透かされているような気がしてどきっとしました。その頃、すでにボブ・ディランの来日コンサートツアーは始まっていて、私がチケット購入していた大阪追加公演は一週間後に迫っていたのです。

 ボブ・ディランは60年代から70年代、フォークブームの立役者であり、反戦、反抗の旗手として神格化された存在でした。その頃青春時代を過ごした私は、当然ジョーン・バエズらとともに影響をうけました。

 しかし、バエズにしてもディランにしても60年代から70年代にかけてよく聞いただけで、その後のことはあまり知りません。高いチケット代を払ってまで行くべきか迷っていました。しかもチケットもSSしか残っていなかったのであきらめも付いたのです。

 ところがダイアナ・クラールのコンサート会場で追加公演が決定したことやチケット優先販売のコマーシャルがあり、つい勢いで申し込んでしまいました。


 当日、少し早めに家を出て、いつものヨドバシカメラで時間つぶしてから中之島にあるフェスティバルホールへ行きました。フェスティバルホールに来るのは初めてのことでした。

 地下鉄四つ橋線、肥後橋駅で降りて地上に出てみたら、そこには高層ビルが林立していました。どれがフェスティバルホールのあるビルなのか。

 高架下を通ってその向こうにあるのがどうやらフェスティバルホールのある中之島フェスティバルタワ-のようです。街には予報通り雨が降り出していましたが、なんとか傘をささなくても歩ける程度の降り方でした。

 フェスティバルホールの玄関前、イルミネーションは地下にある飲食店街へ降りる階段です。

 生憎の雨で、テラスに座る人はありません。

 玄関を入ると赤い絨毯が敷かれた階段が迎えてくれました。

 2013年に立て直された現フェスティバルホール、さすがに綺麗で華やかな印象です。京都会館同様、バルコニー席も設けられて、クラシックやオペラなどにも合いそうです。

 しつこく会場内撮影禁止が叫ばれる中、監視員の目を盗んでスマホでパシャリ、慌てたせいでボケています。写真で見るとステージは遠く見えますが、席は今までで一番良くて、1階16列8番です。8番というのはやや通路寄りではあるのですが、16列はなんとSSのボックス席より二列後ろなだけでした。

 これだけ近いとオペラグラスは要らないかなと思いましたが、照明を落とし気味のステージでは、ボブ・ディランの顔をはっきり拝めなかったので使用しました。

 ボブ・ディラン、2年ぶりの来日だそうですが、コンサートツアーは実に15年振りだそうです。初来日は1978年です。その頃私は27歳で東京暮らしでした。彼の来日はけっこう騒がれていたのでコンサート、行こうか迷ったのですが、その頃のディランは、もうかつてのディラン(60年代の)ではないとか言われていて、行くのを断念した記憶があります。

 長い時間を経てみれば、彼の変貌には一貫したものがあったのでしょうが、その頃のディランにはフォーク、あるいは反体制の旗手という強烈な印象があったので、変貌も大きく取りざたされたのだと思います。

 それから約40年近くが経って、ディランは74歳になり私は64歳です。ふたたびコンサートに行くチャンスが巡ってきて、実際行けるようになるとは当時の私には想像もつかなかったことですね。

 ディランと言えば誰も思い浮かべるのが「風に吹かれて」です。私がディランを聞いていたのは初期のベスト盤だけです。「時代は変わる」「ミスター・タンバリンマン」、「ライク・ア・ローリングストーンズ」などです。彼がこの40年近く、どのように活動してきたかほとんど知らないのです。

 案の定、コンサートで歌われた曲はなじみのないものばかりでした。照明を落としたステージには、思ったより小柄なディランが帽子を被って立っています。彼は足を少しはじかって歌います。間奏の間には、時々屈伸する動作を交えたりしていました。声はしゃがれていて、歌い方はひどくぶっきらぼうです。

 満員の観客はダイアナ・クラールの時に比べると熱狂的でした。時々、バラード曲などでは拍手が起こり声がかかるので有名な曲なのでしょうが、私には判りませんでした。

 それどころかシンガーソングライターの曲の常、皆同じように聞こえてしまいます。フォーク調、ロック調、カントリー調、彼の音楽はいろんなジャンルが混在しているようです。

 ひどく硬派なコンサートでした。MCは一切なく、ただ彼は次から次へと淡々と歌い続けるだけでした。一度だけ彼が放った言葉がありました。一回目のステージの終わり、休憩に入る前に彼は日本語で「皆さん、ありがとう」と言ってステージ裾に下がりました。

 席が良かったせいか、さすがフェスティバルホール、音は良かったですね。ディランのバックバンド、かなり演奏の質も高かった気がします。

 19時から始まって、21時になろうとしていました。そろそろステージも終わりに近づいているなぁと思った頃、おや、と思う曲が歌われました。なんと大スタンダードナンバーの「枯葉」です。いつもぶっきらぼうで言葉を吐き捨てるように歌うディランですが、「枯葉」を歌う彼の声は暖かく優しかったですね。

 「枯葉」が最後の曲になりました。割れんばかりの拍手に呼び戻されて歌われたアンコールは二曲でした。なんとその中に「風に吹かれて」があったのだそうです。ただ、アレンジがきつくて、元のイメージは全然残っていなかったそうで、私も全然気づきませんでした。

 フェスティバルホールの窓から見下ろした雨の交差点

 ホール内のおしゃれなロビー

 コンサートが終わると中之島の夜はすっかり更けていました。

 ダイアナ・クラールから始まったコンサート、井上陽水のコンサートに行ったとき、陽水もダイアナ・クラールのコンサートに行っていたことを知りました。そして、ダイアナ・クラールのツアーの名前はボブ・ディランの曲「WallFlower」でした。ディランが今回のコンサートで「WallFlower」を歌ってくれたら見事に繋がったのですが、さすがにそうは問屋が下ろしてくれませんでした。

 コンサート、私にしては珍しく続きましたがたまにはいいものですね。都会の夜、コンサート会場の華やかな雰囲気も、田舎暮らしの長い私には新鮮でした。

 今回、フェスティバルホールで生演奏を聴いて(もちろんPAは入ってますが)、自分の部屋のオーディオの音に少し疑問を持ちました。それで帰ってから少しだけオーディオ装置に手を加えましたが、その話はまた次の機会にしたいと思います。