5月のある日、京都で所用を済ませた帰り、草津駅に降り立ちました。以前同級生に誘われてライブを聞きに行ったジャズバー、コルトレーンに立ち寄るために。

(写真はホームページより)

 あのライブの夜以降、ライブのない夜に一度一人でゆっくり飲んでみたいと思っていたのですがなかなかチャンスがありませんでした。

 私はもともとお酒があまり強くありませんし、付き合い酒以外、自分から進んで飲んでみようということも普段はないのですが、今回は高齢者仲間入り目前の冒険です。

 若い頃は、仕事帰り、たまには赤提灯にでも寄ってみたいと思うこともありましたが、ずっと車通勤だったこともあって一人で酒の店に行くことはありませんでした。

 その日は金曜日の夜でしたが、店内は先客が一人だけでした。後はオーナーさんとスタッフの方が二人だけ、少し静かすぎるくらいでした。

 いつもならビールなのですが、ここはちょっと格好をつけてハイボールを頼みました。ウィスキーは水割りかロック、ハイボール飲んだことがなかったのですが、口当たりが良くておいしいものですね。

 私たちが若い頃はウィスキーばやりでした。強くもないのにレッドとかホワイト、ブラックと言った色の名前の付いた安ウィスキーを、アパートの狭い部屋で友人とああでもないこうでもないと、夜通しご託を並べながら飲み明かしたものでした。

 この夜は場所もおしゃれなジャズ・バーです。ちょっと出世して、角のハイボールにしました。バーのカウンター席でお酒を頼むなんて慣れていないので、なんとないぎこちなさを自分に感じました。

 お店に入ったとき、何のアルバムがかかっていたのか忘れましたが、先客が帰るとオーナーさんがレコード棚から一枚のレコードを出してかけてくれました。


  •  マイルス・デイビス・クインテットの「天国への7つの階段」です。よく似たジャケットの「スケッチ・オブ・スペイン」や「アット・カーネギー・ホール」は持っていますが、これは持ちあわせていません。

 ミュートの効いたマイルスのトランペットがアルコールが回り始めた私の脳を痺れさせます。グラスを傾けながら、ギル・エバンスの編曲が有名な「スケッチ・オブ・スペイン」よりこちらの方がいいかな、などと思いながら。

 目の前にあるJBLはこの間見た時は小さく見えましたが、カウンターから見るとかなり大きなものであることが判りました。スタジオモニター4343です。四谷のジャズ喫茶、いーぐるの壁面に嵌めこまれているものと同じですね。

 昔のジャズ喫茶ではないので、そんなに大きな音ではないのですが、お客も私だけなのでオーナーはボリュームを少し上げてくれました。お酒をいただきながら聞くジャズは、とろとろと気持ちよく身体に染みこんできます。

 入り口の扉が開いて、仕事帰りらしいスーツ姿の若い男性客が一人入ってきました。こんな若い客もジャズを聴きに来るのだと思うと、少し頼もしく思えました。

 マイルスの次にオーナーさんがかけてくれたレコードから流れてきた曲は、耳になじみのあるメロディでした。「黒いオルフェ」です。しかし、よく聞くと私がいつも聞くジェリー・マリガンの演奏とは少し違います。

 



  •  かかっているアルバムはデクスター・ゴードンGETTIN' AROUNDでした。デクスター・ゴードンというと、テナーを豪快に吹きまくる印象が強かったのですが、こんなしみじみした演奏をするのですね。見直したというか、ずいぶん不勉強でした。

 場所が違うからでしょうか、それともオーディオ装置が違うからでしょうか、いつも自宅の部屋で聞くジャズとはまた違った感覚で音楽がなだれ込んでくるような気がします。それともやはりお酒のせいでしょうか、デクスター・ゴードンにすっかり魅了されました。

 この演奏の後、オーナーさんと店の女の子がアルト・サックスを習っているという話がありました。それから最近若い女性の間でアルトサックスの人気があることや、寺久保エレナ矢野沙織などの話が出たりしました。

 この頃は、すでに2杯めの水割りも飲み終わりかけて、ずいぶん気持ち良くなっていました。強くないくせに気分が乗るとペースを上げてしまうところがあるのでブレーキをかけます。こんなところで酔いつぶれて家に帰れなくなっては困ります。

 お店にチック・コリア小曽根真のコンサートのポスターが貼ってあったので、見ていたらオーナーさんがチケット手配できるというので、お酒の勢いも手伝って申し込んでしまいました。外国のタレントが出る割には値段も安かったのですが、よく考えると2月のダイアナ・クラールから毎月一回コンサートに通う勘定になります。



 オーナーさんがチック・コリアの「スペイン~ライト・アズ・ア・フェザー」をターンテーブルに乗せた頃、入り口の扉が勢いよく開いて、5.6人の団体さんがなだれ込んできました。何でも歓送迎会の流れとかでもうすでにできあがっている様子でした。幹事役の方が、カウンターで静かに飲んでいる私に謝りに来ました。

 とんでもないと手を振りながらも、時間も10時を過ぎていたので、そろそろ潮時かなと思いました。それまでゆっくりといっしょにジャズを聴いていたお店のスタッフの方も、急に忙しくなりました。少しチック・コリアを聞いてから席を立つことにしました。

  ウイスキー二杯でもうすっかりほろ酔い気分です。駅までの帰り道、頭の中には、さっき聞いたデクスター・ゴードンの「黒いオルフェ」が流れ続けていました。途中、コンビニでホットコーヒーを買って、夜遅い電車に乗り込みました。