ホテルでチェックインを済ませたあと一休みするのも惜しく、小さなバッグだけ肩にかけてふたたび新宿の街に出ました。
新幹線から降りたときも感じたのですが、東京は予想外に寒く感じました。3月と言ってもまだ始まったばかり、閏年ならまだ2月です。今にも雨が降ってきそうに曇った空のもと、私は薄いダウンのジッパーを上げて歩きました。
目指すは歌舞伎町です。場所が場所だけに多少迷いはあったのですが、上京が決ったとき是非行ってみたいお店があったので、ともかく行けるところまで行ってみようと思いました。
ブログなどで東京の新しい情報を知ったりすると、次に上京する機会があれば是非行きたいと思ったり、コメントしたりするのですが、いざとなるとそれが何処だったかさっぱり思い出せません。
唯一、思い出せたのが「ナルシス」です。このお店は、歌舞伎町にあったバーで、正式には「酒場ナルシス」というのでしょうか、20代前半の頃、友人haraに連れられて何度か通ったところです。
その頃のことを以前、そらへいの音楽館で書きました。以下がその記事のリンク先です。http://sorahei-s.blog.so-net.ne.jp/2010-11-19
新宿五丁目から靖国通りを歌舞伎町に向かって歩いていると、花園神社の前を通ります。ここを過ぎて右に折れると少しずつ、市役所裏あたりのコアな部分に近づいて行きます。
有名なゴールデン街がありました。若い頃でも昼間しか通ったことがなかったと思います。
ゴールデン街、市役所裏あたりを過ぎて、スマホのナビの案内のまま進んでいくと、派手な色合いのネオンサインが目立ち始め、いよいよ歌舞伎町の繁華街に近づいて行きます。
「つるかめ食堂」の看板を見つけました。昔、職場の年上の女性に連れられて一度だけ来たことがあります。庶民の味方、財布に優しい大衆食堂でした。当時は奥行きの深い細長いお店だったと思います。今も健在で創業60年だそうです。
その斜め向かいに見えるレンガ色の建物は名曲喫茶「王城」と思ったのですが、今はカラオケのお店になっているようです。
「王城」には入ったことがあったか記憶がはっきりしません。ただ、昔、このあたりにあるらしいジャズ喫茶を探してうろついていたら、客引きにあい、危うく連れ込まれそうになったことがありました。
今は、客引きらしき人もあまり立っていませんが、アダルトな看板が建ち並び、その内容からしてもいかにも怪しげなスポットに突入しているようです。
ナルシスをさがして、立ち並ぶビルの看板とスマホの画面を交互に見ながらうろうろしていると、さすがにいぶかしむのか、どこからかお兄さんが出てきて「DVDでしょう」などと声を掛けてきます。
違う違うと手を振って、ここまで来て逃げるのも癪なので尚も看板の林の中を探します。スマホが指すあたりに立って、この辺なのだがなぁと見上げていると、ビルの二階に目的のお店、「ナルシス」の看板を見つけました。
写真を撮る余裕もありませんでした。店の前の通りの様子は、よくこんなところにジャズ喫茶をと思うような雰囲気です。ただ吉祥寺のメグもそうでしたし、京都木屋町にあるジャズ喫茶もちょっと近寄りがたいところにありました。
たどりつきました。やっとたどりついたと言う感じです。ネットで見たのと同じ扉です。喜び勇んで中に入ろうとしたら鍵が掛かっていて、白い貼紙が目にとまりました。
午後4時を過ぎたところだったのでまだ一時間近くあります。仕方ないので、その辺をぶらついて時間を潰すことにしました。表に出て通りを抜けると歌舞伎町のど真ん中に出ました。
この通り、今ではゴジラストリートというのだそうです。かつてコマ劇場があったあとに建つ新宿東宝ビル、その屋上からゴジラが顔を出して吠えています。賑やかな音とネオンサインは相変わらずですが、ここも平日のせいか私の記憶より人通りが少なく思えました。
ゴジラストリートと靖国通りの交差点です。昔は、このあたりに似顔絵描きがずらっと絵を並べていたり、アクセサリーを売る人たちがいたように思いますが、時代のせいかさすがの歌舞伎町もすっきりして見えます。
前方の新宿駅に向かう街路樹がある通りは、昔、人の頭で黒く埋まっていました。(当時茶髪はありませんでしたからね)
歌舞伎町に来だした頃は、その通りが人でいっぱいになり、緩い坂道を黒い頭の群がずんずん、ずんずんと一定のリズムで揺れて見えるのに驚いたものでした。今は回りの建物の背が高くなったせいか、以前より通りが狭く見えます。
もう一度DIGに行くのも勿体ない気がして、ただウロウロ歩き回って時間を潰しました。そろそろ5時になる頃を見計らって、さっきの通りに引き返します。
顔を覚えていたのか先ほどのお兄さんが、「やっぱりDVDをさがしているのでしょう」とまた声を掛けて来るのを苦笑いで振り切って二階の階段を駆け上がりました。
やれやれドアの向こう、磨りガラス越しに店内の明かりが灯って見えます。扉を開けると、ママさんが驚いたようにこっちを見て「いらっしゃいませ」と声を掛け、慌ててカウンターの上の鞄などを引っ込めました。本当に今、開けたばかりの様子でした。
http://jazz-kissa.jp/tokyo-narsis-photo-collection
店は横に細長く、カウンター席が中心で通りに面した奥の方にテーブル席がいくつかありました。その反対側の壁の上方にスピーカーが横向きに並べられていました。店の形は違いますが広さはかつての酒場ナルシスとあまり変わらないかも知れません。
もちろん開店したばかりなので私の他に客はいません。カウンターに腰掛けて、ビールを注文しました。しばらく店内を見回したあと、ママさんに話しかけました。40年ほど前、バーだった頃のナルシスに来たことがあると。
ママは、懐かしそうに私を見ました。でも記憶をたどっても思い出せそうにないようでした。当然です。もう40年以上も昔のこと、しかも私はそれほどたくさん通った客ではありません。
当時、ママさんは結婚してお産、子育てに忙しかった頃だそうです。その頃生まれた娘さんが今40歳になるとおっしゃってました。
私も当時、カウンターの中でママさんを見かけたのはちょっとだけでした。すらっとしてきれいな方だった記憶があるのですが、その頃のママさんは30歳前後、今は70代です。
私の記憶ではもう一人、お手伝いされていた女性がおられたのですが名前が思い出せません。以前ブログではレイ子さんと仮に呼んでいたのですが、ママさんに聞いたらtakemiさんではないかと言うことでした。
その方は、60歳そこそこで亡くなったと娘さんからの年賀状で知ったと言うことです。年齢からすると多分10年くらいは前のことだと思います。ママさんのお母さん、つまり先代のママさんもつい数年前までは健在だったのだそうです。
もと酒場ナルシスがあったところからいつこちらに移転されたのか、教えていただいたのに失念しました。ただジャズ喫茶を始めたのは1978年で元の場所だったそうです。
その頃なら私はまだ東京にいましたし、あちこちのジャズ喫茶をうろついていた頃です。もしナルシスがジャズ喫茶になっていると知っていたら、もっと頻繁に通っていただろうと思います。
離婚された前のご主人がオーディオ好きでこのお店のオーディオを用意されたのだそうです。写真では途切れていてわかりづらいですが、上の方にあるのがママご自慢のスピーカー、グッドマンです。当時でもなかなか見つからなかった逸品だそうです。
カウンターの向かいの棚にはお酒が並んでいます。夜はお酒が出て、昔からの古い客や気さくなママさん目当ての常連客が集っているのだろうなと思えるお店の雰囲気です。
お酒の棚の間に辻まことの全集が並んでいました。そう言えば、バー・ナルシスのマッチは辻まことデザインだったことを思い出しました。
ママさんは川島夕子さんと名乗られました。ほとんど初対面の私にも気さくにいろいろなことを話してくださいました。当時のナルシスのこと、新宿、歌舞伎町の話など。
歌舞伎町ではジャズ喫茶「木馬」にもよく行っていたと言うと、「木馬」は最初、別の通りにあったのだと教えてくれました。私が通っていたのは、多分移転後のお店の方だったと思います。「木馬」も1990年代に閉店してしまいました。
ほとんど初対面であることも忘れて、静かな雰囲気の中であれこれと思いつくままにお喋りを続けていたのですが、その雰囲気を破るように、一人のお客が入ってきました。常連さんらしくママさんも気軽にあしらっています。
その人は今まで都庁で仕事をしてきたのだそうで、憤懣やるかたないと言う風に都庁の若い職員や公務員への不満をぶちまけていました。
黒黒としたパーマ頭に口ひげを生やしていて、私よりずっと若いと思っていたらもう60歳と聞いて驚きました。話題が豊富で面白い方でした。
ジャズの話をするとこの方もジャズには造詣が深いようで、ビル・エバンスやマイルスの逸話をいくつか語られたので驚きました。このお店には珍しいジャズのレコードがたくさんあるとおっしゃってました。
その言葉通り、ママさんはジャズのレコードを何枚か掛けてくれました。かなりマニアックなレコードが多くて、私が知っていたのはマイルス・デイヴィスのリラクシンだけでした。グッドマンの音は素朴で耳になじみやすく心地良かったです。
しかし、このお客の出現によってママさんとの話は途切れがちになりました。ママさんはカウンターの内側に腰掛けて一人煙草を吸い、自分で立てたコーヒーを飲みました。
いい香りが私のところにまで漂ってきます。ビールを飲み干して手持ち無沙汰になった私は、ビールの追加ではなく、コーヒーを頼みました。おいしいコーヒーでしたね。
いつまでもそこにいたかったのですが、ママさんとではなくあとから来た客と話をしてしまうことになって、それでは意味が無くなるので頃合いを見計らって辞去することにしました。
北海道に住むharaにこのことを話したらさぞ驚くだろうなと思いました。入り口まで送ってくれたママさんに、別れ際、彼といっしょに来たかった、出来ればまた来ますと告げて、ナルシスをあとにしました。
外はすでに暗く、雨が降リ出していました。濡れたアスファルトの路面にネオンサインがにじんでいます。時刻は午後七時を回ったところ、ほぼ二時間いたようです。
今夜は、ナルシスのママが掛けてくれたレコードMiles Davis(マイルス・デイヴィス)のRelaxin'です。