このまま一気に春が進むかと思ったのですが、さすがにそうは問屋が卸してくれませんでした。雨が続き気温は下がり、最後には強い風が吹く春の嵐になりました。関東地方では霙や雪も降ったそうです。

 撮り忘れていた近所のウメやサンシュユ、雨が上がった日の写真です。風雨にもめげずなんとか残っていてくれました。どなたかのブログではもうコブシが散った情報がありましたが、幼稚園のコブシはまだ蕾が開きかけでした。



 我が家の桜です。雨の間にも蕾がどんどん丸くなって、雨が止んでここまで膨らんで来ました。どの枝にも大きな蕾があって、今年は花付きが良い予感がします。


 


 メイドさんの奇妙なお喋りを背に、秋葉原を後にした私はそのまま山の手線に乗って日暮里に向かいました。日暮里に降りるのは二度目です。



 若い頃にシャルマンと言うジャズ喫茶を訪ねて初めて日暮里に降りました。その時、一度行っただけなのに歩いた日暮里の情景が何度も鮮明に蘇るのでした。

 夕方だったと思います。お寺の影が通り沿いにいくつもありました。長い階段を降りるとちょっとした広場があって、左手に狭い商店街がありその入り口あたりにシャルマンがあったと記憶していました。



 有名な夕焼けだんだんです。私の記憶ではもう少し長くてゆったりした階段だったように思うのですが、行ってみると思ったより短くて急な階段でした。階段を降りて左手に伸びていたと思った谷中銀座の商店街は、階段を降りた真正面にありました。

 

 階段の下から見上げた空の夕焼けがきれいなので、夕焼けだんだんと名付けられたのだと、私のそばを歩いていた男性が隣の女性に語っていました。

 あいにく時は真昼間、仰いだ空にはきれいな青空が広がっていました。夕焼けだんだん、ほのぼのとしたいい名前ですね。昔、私がこの階段を降りた頃はまだそんなしゃれた名前は付いていなかったと思います。


 谷中銀座、商店街の通りとしては短いものですが平日にもかかわらずけっこう賑わっていました。ものを頬張りながら歩く人たち、店先を冷やかしていくグループ、お昼時とあって天ぷら屋さんに行列が出来ていたりしました。




 シャルマンを探して何度も行き来する間、この方はずっとこの格好でした。誰も気にしないところを見ると寝ているだけなんでしょうね。

 商店街に入ってすぐにシャルマンがあったと思うのですが、何度谷中銀座を行き来しても見つかりません。昔は二階建ての一階が喫茶、二階がスナックだったらしいのですが、今では二階でジャズバーとして夜だけ営業を続けているはずです。

 夜は慎介選手の試合があるので来ることは出来ないので、昼間、その店先だけでも見てみたいと思って訪ねたのでした。


 何度も行ったり来たりするのに疲れて、あきらめて帰ろうとしたとき、夕焼けだんだんと谷中銀座のアーチの間にある建物のシャッターの前にこの小さなプレートが掛かっていました。光って見にくいですが、シャルマンのマッチデザインと同じです。

 ジャズ喫茶「シャルマン」のマッチ




 「シャルマン」のプレートを見つけて納得した私は、そのまま西日暮里まで歩くことにしました。朝肌寒く感じたお天気も、天気予報通りの好天に気温をどんどん上げていました。薄着にして正解でした。


 狭い通りを歩いていると路地の奥に昔懐かしいアパートの建物がありました。ふらっと入っていったら中から髪を伸ばした汚い格好の友人が出てきそうです。いや、あの雨戸の閉まった部屋がかつての私の部屋かも知れません。


 「右やなか」の道標


 正面にまわると「ろくあみだみち」と読めます。私が歩いている狭い道がその道のようです。


 東京のどこにでもある路地、中野や西荻窪と変わりません。


 建物に囲まれた小さな公園、平日の昼間のせいか遊ぶ子供の姿はありません。


 東京でよく見かけるお蕎麦屋さん、お昼を過ぎていたので入ろうかと思いましたが高そうなので通り過ぎることにしました。


 パン屋さんの二階で落語演芸をやっているのでしょうか。何気ない街中にこういうところがあるのが、いかにも東京らしいですね。東京の懐の深さを感じます。


 またしても懐かしいアパートの建物。意外と残っているものです。今ではどのような人が住んでいるのでしょう。貧乏学生、生活より夢を追っている若者、それとも外国人、独居老人でしょうか。


 西日暮里から都電荒川線に乗るために三ノ輪駅を目指したのですが、これが失敗でした。ずいぶん歩くことになってしまいました。

 歩いていると線路沿いに公園があり、公衆トイレがありました。ちょうど用を足したかったので入ってびっくりです。以前の汚い公衆トイレのイメージと違うのです。室内も便器もきれいで人が離れると自動的に水が流れるセンサーまで付いていました。


 三ノ輪の駅に着いてやっと都電に乗る事が出来ました。都電でもICカード(私はJR西日本なのでICOCAなのですが)使えるのですね。しかも普通なら170円がICカードだと165円だそうです。


 乗った電車は外観も車内も新しいデザインの車両でした。すれ違う電車に旧タイプの色使いのものがありましたが車内はわかりません。その電車は確か貸し切りと表示されていました。


 都電に乗るのはやはり若い頃に乗って以来です。その時は大塚から西ヶ原四丁目まででした。ですからこんな一般道を他の車といっしょに走るところがあるのは知りませんでした。京都の市電を思い出します。

 景色に気を取られて写真を撮り損ねたのですが、軌道が坂道になっているところがありました。雑司ヶ谷から鬼子母神前あたりだったかと思います。

 ずっと昔、和久井映見だったか仁科明子だったかが主演した単発もの青春ドラマがあって、その舞台が都電荒川線沿線でした。ドラマの中で都電が波打つ線路を走る映像があって印象的でした。ここだったのですね。


 三ノ輪駅から早稲田まで所要一時間弱、165円の路面電車の旅を堪能して終点早稲田に着きました。





 早稲田駅を降りて、さてどうしたものかと思いました。時刻はもう3時です。ボクシングの応援に来ている同級生たちは4時に両国に集まるようになっています。私は4時から5時の間に行くと言ってあったのですが、5時としてもそれほど時間があるわけでもありません。


 早稲田から最寄りの地下鉄やJRに行くにはどういけば良いのだろうと思いながら、あてもなくひとつの通りに入っていったところ、通りの左手になんと一件のジャズ喫茶を見つけました。NUTTY、ここは私の頭に入っていなかった所です。時間ありませんでしたが迷わず緑色のドアを押しました。

 
 中はそんなに広くはないけれど、20席ほどあって中年男性が5.6人、ジャズに耳を傾けていました。今時のジャズ喫茶にしては大きな音が流れています。

 サランネットを外した大きなスピーカーはJBL4331Bです。いい音がしてましたね。耳に優しい高音が印象的でした。

 入った時はコンボの曲がかかっていましたが、ビル・エバンス・トリオになりました。ベースのソロに耳を澄ませていると、学生二人組が入ってきてリクエストをしました。デューク・エリントンの極東組曲です。

 この曲が終わったら席を立とうと決めたのですが、これが組曲と言うくらいなのでなかなか終わりません。曲が終わる頃、時計は4時を回ってしまいました。

 学生さんはやはり早稲田の大学生でした。曲が終わるとマスターが、今度この曲をハイソサエティが演奏するので皆さん聞きに行って下さいと客に紹介していました。

 店を出た私は、もたもたしていると5時にも間に合わない気がしました。早稲田からどのコース辿れば最短で両国に着けるか思案しました。歩いて道に迷うとドツボに嵌まるので、安全策をとって大塚まで都電で戻り、そこから山の手線で秋葉原へ出て総武線に乗り換えることにしました。

 山の手線に乗っているとき、LINEに両国駅近くのレストランに集合していると連絡がありました。秋葉原に着いて、総武線のホームで電車を待ちながら何とか5時までに着きそうだとほっとしていると、大事な忘れ物に気づきました。

 なんとボクシング会場、両国国技館の入場券、ホテルに置いてきた鞄に入れてあったのです。とりあえずそのまま両国まで行って、皆が集まっているレストランで落ち合いました。

 事情を話して慌ててホテルに戻りました。皆は両国国技館近くのホテルに泊まっていましたが、私はブックマークで最安値を選んだので距離がありました。

 もし、皆といっしょに食事をして7時過ぎに会場入りしようとして、そこでチケットがないことに気づいてホテルに戻っていたら、この間の試合なら間に合わなかったかも知れません。 


 今夜のEEarl Hines(アール・ハインズ)です。この演奏はジャズ初期のストライドピアノの面影が色濃く残っている気がします。
 1970年代に来日した時、聞きに行きました。サッチモを思わせるエンターティナー振りでした。彼が連れてきていた無名の女性シンガーが印象的でしたが、その後さっぱり名前を聞かないので無名のまま終わったのでしょうね。