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リタイア [地域]

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 12月ももうすぐ上旬が過ぎようとしています。今年は時間があるのでと鷹揚に構えていましたが、ここまで来るとさすがに今年の残り少なさが気になってきました。

 呼応するように、当ブログの画像ファイルの使用領域が残り10mb以下になってしまいました。今年あと3週分、果たして足りるかどうか心配です。

 来年からはキリよく、「ほぼ金曜日のそらへいⅡ」で新年を迎えたいと思っていますので、RSS登録よろしくお願いします。


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 さて、今日はお恥ずかしい失敗談です。私は今年森林組合の連絡委員に当たっています。いくつかある当番役割の一つで組内で順番に回ってきます。以前は12年に一度でしたが組合員数減少で今は8年に一度回ってきます。

 連絡委員の主な仕事は夏の林道の草刈と今回の山の境界の見回りです。境界周りに参加するのは4度目、8年振りです。以前は他にもっと行事があった気がするのですが、こちらもコロナ禍で縮小気味です。

 朝8時、山の麓に組合役員と我々連絡委員が集合します。欠席者もあり総勢13名でした。70代は私を含めて3名、50代が3名であとは60代という構成です。

 約4時間の行程ですが、出発前におにぎりとお茶、果物などが配られそれぞれリュックに詰め込みました。お天気も良くてトレッキング気分満開です。

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 初めは平坦な道がしばらく続きました。皆一列になって進んで行きます。お喋りしている人たちの賑やかな声がしています。誰かがお喋りも今のうち、そのうち誰も喋らなくなると言います。私は歩きながら、へえそんなにきつかったかなぁと思いました。

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 軽トラがギリギリ通れる林道から外れて山の中に入っていきます。山の中には確かな道がありません。ただ樹木はほとんど葉を落とし、裸の木が並んでいるだけなので見通しは効きます。

 普通の山登りならこんな道を選ばないのでしょうが、境界周りなので道なき道もあります。目印は境界杭と、ところどころ木々の枝に結われた赤い紐です。

 写真の坂は、これからますます傾斜を増しながら続いていきました。私は列のほぼ真ん中辺りを歩いていたのですが、次第に後ろの人が追いついて来る気配がして、やがて次々に追い抜かれていきました。

 ふくらはぎ、太ももの裏、腰にまで痛み出てだんだん動けなくなってきました。場所によっては這うようにして上がりました。こんなはずではないと思いながら。

 8年前と同じコースなのに、こんなにしんどい登りがあったことをすっかり忘れていました。私の記憶は何事においても、しんどかったことは忘れる傾向にあるようです。そしてこの8年の間の自分の体力の衰えをすっかり侮っていたことに気づかされました。

 とうとうしんがりになりやがて取り残されました。50代の役員Hさんが付き合ってくれました。へばって休んでいる私に、Hさんは去年は50代の人がこの先の林道との合流点でリタイアしたことや、一昨年は、気持ちが悪いと言われて麓まで戻り車で迎えに来た話などを慰めとも励ましとも言えない表情で話してくれました。

 急な坂の途中でどうにもこうにも足が動きません。こんなところでへこたれるわけにもいかず、立ち止まっては休み、少し進んではまた休みを繰り返して、何とか林道との合流点にこぎつけました。

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 合流した林道がこちらです。写真は「3年ぶりの裏山」で使用したもの、お隣の集落との境界です。ここで皆さんは休憩を取りながら私が来るのを待っていてくれました。

 記憶ではこのあとは比較的なだらかな尾根伝いが続くのですが、私はここでリタイアすることにしました。これ以上、皆さんの足を引っ張るわけにもいきませんし、この先足の痛みを抱えて歩き続ける自信もありませんでした。

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 皆はまた崖を上がり尾根伝いに進んでいきました。私は逆方向にいつもの林道を下りました。アスファルトのなだらかな下りばかりなので、今までの痛みやしんどさが嘘のようにスタスタ歩けました。足腰に負担を感じることも無く無事家に帰り着きました。

 家に帰ってからスマートバンドを見てみると、歩数はそれほどでもありませんでしたが、普段散歩等を含めても1日で100キロカロリー前後なのに、この日はすでに500キロカロリー近くを消費していました。

 8年前の記事はこちらです。読み直して見るとわりと平気で登っています。8年でこんなに衰えてしまうものなんでしょうか。60代と70代の間には体力低下の崖でもあるのでしょうか。

 前回も今回も70代前半の方が何人かおられましたので、単に年齢のせいにするわけにも行きません。見通しの甘さと、自分の体力の衰えを目の当たりにして、ちょっとショックな出来事でした。

 以上、本年二度目のリタイア報告でした。


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 もう霜も何度か降りるようになって、冬は間違い無いですが、枯葉はまだ大丈夫でしょうか。ジャズ枯葉の王道、ビル・エバンスかキャノンボール・アダレイ&マイルス・デイビスにするかで迷っていましたが、前回の境界まわりの時にも枯葉を選んでいました。8年振りにエリック・クラプトンの枯葉です。


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2022年年明け [地域]

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 去年に引き続き、年越しは山裾にあるお寺の鐘撞きで過ごしました。雪がときおりちらついたり、木々の間から星が瞬いたりする夜でしたが、昼間と違って風が無かったのであまり寒さを感じませんでした。

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 本堂で除夜祭が終わると副住職が除夜の鐘を撞きます。続いて区の役員、私たちが順番に撞いて回りました。今年もコロナ禍のため、お参りは少なく除夜の鐘も途切れがちでした。

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 例年ですと二時、三時頃までお参りがあります。去年、今年はコロナ禍のためお参りも少なく、一時で解散となりました。その後、地蔵堂へ付け放しになっている電気を消しに行きました。

 誰もいないと思っていたら、お参りされている方が二組もあって驚きました。その方たちが帰られるのを待ってろうそくと線香を始末し電気を消しました。

 せっかくなので近くの氏神様に初詣に行って来ました。例年ですと宮守町の方々がお神酒をついで接待してくれるのですが、ここもコロナ禍、私が行った頃は2時前、もう境内に人影はありませんでした。


 また、コロナが勢いを吹き返しつつあります。今年はどんな1年になるのでしょうか。早くコロナが収って通常の生活に戻りたいものです。コロナに掛からないことも含めて、ともかく今年も健康でありたいと思います。

 皆様にとっても今年1年が健康でより良い年であることを願います。今年もよろしくお願いします。


 元旦のSStephane Grappelli(ステファン・グラッペリ)です。ジャズバイオリンと言えば昔はこの人でした。と言っても私はジャンゴ・ラインハルトと共演した物しか知らないのですが。曲はStardust



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ゴミいっぱい [地域]

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 3月に入ってあっという間にひな祭りも過ぎてしまいました。娘が嫁いでもう7年ほど、それ以降も毎年、妻は雛飾りを出していましたが、今年はもう良いかと言って出していませんでした。

 ところが2日に孫たちが遊びに来ておひな様を出して欲しいと言います。孫のうちにはガラスケースに入った雛飾りを贈ってあるのですが、ママは出していないそうです。

 急に雛飾りを出す羽目になり、一時座敷は足の踏み場が無いほど雛飾りの箱などでいっぱいになってました。4歳の男の子はわけがわからずただ箱からいろいろな装具を出して遊ぶばかり、6歳の孫はさすがに女の子、お人形に興味があるのかと思ったら、首を引っ張ったり引き抜いたり、バアバが一人で奮闘していました。

 
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 翌3日、ひな祭りの日、私は営農組合の出役で圃場のゴミ拾いに狩り出されました。田んぼでなぜゴミ拾いをするのかというと、私たちの圃場の周りには国道から抜け道になる農免道路が縦横に走っています。

 そこを走り抜ける車からゴミが投げ捨てられるのです。ほとんどがコンビニ袋のようなナイロン袋に入ったまま捨てられています。

 稲刈りを終えて田んぼが裸になった頃から目立ち出しました。その前から草刈をしているときも畦際に投げ出されたゴミを見かけることがありましたので、伸びた稲で隠れて目立たなかっただけなのかも知れません。

 営農組合で田植えや草刈くらいしかしていませんが、農免道路を走るたびにゴミが散乱した私たちの田んぼを見ると腹立たしい思いにかられました。

 今まででも組合の役員さんが出て拾ってくれていたそうです。あまり広範囲で量が多いので今回、我々の出番となったわけです。

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 広い圃場、20人あまりで東西南北に分かれゴミ袋を持って圃場の中をゴミを拾って歩き回ります。以前は道路際にあったゴミは、風のせいか圃場の奥の方、あちこちに散らかっています。

 またカラスがゴミ袋の中の食べ残しを漁って散らかします。この日、ゴミを拾っている時も、数羽のカラスがゴミ袋を突っついていました。

 拾ったゴミは圧倒的にナイロン袋が多かったです。中身はどうなったのか細かく散乱したゴミは拾いきれません。弁当の容器、お菓子の袋、ジュースの紙パックなど様々でしたがなぜか納豆の容器、玉子の透明パックなどもありました。

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 ナイロン袋は風で飛び、水切りのために圃場に切られた溝に嵌まって静まっています。腐ったり溶けたりしないのでいつまでも残ります。これから田植えの準備作業で、機械に絡まったり田植え作業の邪魔をしたりします。

 圃場の真ん中を線路が走っています。踏切際には、とくに煙草の吸い殻がたくさん落ちていました。固まって落ちているので信号待ちの間に吸い殻入れをひっくり返すのでしょうね。

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 組合長は、作業の始めの挨拶で情けないと言っていましたが、本当に情けなく腹立たしいことです。日本人は先進国の仲間入りをして、きれい好きになったのではなかったのですね。

 よく、某国のマナーの悪さなどをマスコミが取り上げ馬鹿にしたりしていますが、こういう現実を見ると私たち日本人もあまり変わらないような気がします。

 サッカーの試合で日本人観客がゴミを拾って観客席をきれいにして帰ったと海外で賞賛され、美談ニュースとして紹介されたりしていましたが、その同じ日本人が母国でこの所業ですからね。サッカーファンとここの農免道路を通る人たちとは違うかも知れませんが。

 ゴミを車からポイ捨てした人たちも田んぼのお米を食べているでしょうに。たとえ直接私たちの米を買わないとしても同じ事ですよね。

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 約一時間あまりでゴミ袋はほぼいっぱいになりました。隣の肥料袋には、缶ゴミが入っています。営農組合でこのゴミをまとめて処分するのは大変なので、各自が持ち帰って家庭ゴミと一緒に出すことになりました。

 面白いことがありました。家に帰って圃場で拾ってきたゴミが入ったゴミ袋を家の裏に放っておいたら、カラスがどこからか寄ってきたのです。きっと彼らの知っている餌の匂いがしたのでしょうね。


 今日のKKenny Drew(ケニー・ドリュー)です。ヨーロッパに渡ったジャズピアニストですが70年代に一時、脚光を浴びたことがありました。私も来日コンサートに行きました。その時を思い出してYouTubeはライブ映像からです。ただ、私が行った時より後年の映像のようで、ドリューもベースのニールス・ペデルセンもずいぶん歳を取っているようです。



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今年も運動会 [地域]

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 先々週の土曜日は孫の幼稚園の運動会予定日でしたが、台風25号の余波の雨で早々と翌日曜日に延期が発表されました。日曜日、期待していたのですが乾き始めたグランドに明け方雨が降ってグランドコンデション不良、さらに月曜日に延期されてしまいました。

 世間は三連休ですが、私はその日仕事が入っていたので行くことが出来ませんでした。上の孫娘最後の運動会だったのですが残念です。後から、娘の相方が撮ったビデオを見せてもらいました。

 幼稚園の運動会、よく雨に祟られます。去年も雨で1日延びて地域の運動会と重なってしまい、掛け持ちで忙しい思いをしたのでした。


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 一週間後の先週日曜日は、地域の運動会でした。朝は少し曇っていましたが、開会式後からは晴れ間が出て暑いくらいのお天気でした。こちらの運動会はもう40年以上続いているのに雨で中止になったのが2回ほどしかないそうです。

 若い時は5つも6つも出場して席を温めている暇もありませんでしたが、最近は出番もひとつかふたつ、テントの中で暇を持て余すことが多くなりました。

 しかし、今年は組長と言うことで、運営する体育委員さんのお手伝いをしなければいけません。私の役割は用具係でした。競技に使う様々な用具を持ってグランドの端から端まで行ったり来たりなかなか忙しかったです。

 とくに最近は、須走りの種目はほとんど無くて、大きなボールや小さなボール、たすきや段ボール箱などを利用したゲームのような競技が増えているので、用意する道具も半端ではありません。

 トラックやフィールドの定められた位置に用具を並べ、競技が終わると回収に走ります。競技よっては競技中に用具を回収したり移動させなければいけません。

 私より一回り下の組長さんと「ひょっとしたら、今日の運動会でいちばん運動しているのは我々ではないか」などと笑いながら動き回っていました。

 全て終わったのが午後3時半、予定より30分遅れでした。支給されたスタッフジャンバーが暑くて閉口しましたが、1日思ったより動けたのは収穫でした。

 家に帰ったらほっこりして、いつもより一時間も早く床に着いてしまいました。


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 Iは一晩で終わるつもりでしたが、Ike Quebec(アイク・ケベック)を思い出しました。と言ってもあまり演奏は知らないのですが、今夜はボサノバです。秋の沈んだ気分が少し軽くなるような気がします。



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盆踊り2018 [地域]

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 お盆の間、おしょうらいさん(精霊)をお迎えして一六日の朝、家の裏の天井川の川原で松明を燃やしておしょうらいさんを送ります。所に寄っていろいろですが送り火に当たると思います。

 その夜は毎年盆踊りが地区で催されます。かつてはお寺の境内で催されていたのですが、今は公民館横の児童公園で催されます。

 ところがあれだけ晴れ間が続いていたというのに、墓参りと言い盆踊りと言い朝から曇り空で天気予報は午後から雨でした。

 私は今年、組長に当たっているので盆踊りを実行する側です。午後から集まって、櫓を組んだりテントを立てたり、アーチをかけたりと汗だくの作業が予定されていたのですが、集まってみたら盆踊りは公民館で開催されることになっていました。

 屋外で盆踊りを楽しみにされていた方には申し訳ないですが、これで作業がぐっと簡略化されます。櫓を組んだり机を並べたりしなくても良いのです。

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 もちろんテントを立てたり、提灯をぶら下げたり椅子を並べたりとすることはあるのですが、範囲が狭いのであまり手間も掛かりません。おまけに雨の前で気温も低く盆踊りの準備としては涼しい部類でした。

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 盆踊りに先立って地域の太鼓グループの演奏がありましたが、まだ人出は少なかったですね。

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 区長さんの挨拶

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 会場の隅っこでは綿菓子、輪投げ、ヨーヨー釣りなどが用意されています。綿菓子機を操作しているのはもちろん私たち組長仲間や区役員です。大人にはボランティアグループのビールと焼き鳥、それからプロのお店のたこ焼きなどもありました。

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 7時半から盆踊りが始まりました。屋外なら、踊りの中心に櫓を組んでその上で音頭取りの人たちが江州音頭を歌うのですが、今日はスペースの関係でステージの上で歌われていました。

 盆踊りが終わるとお楽しみの抽選会です。これがないと盆踊りだけでは昔ほど人が集まってくれません。この抽選だけを目当てに来る人も大勢います。

 私は賞品係の役割でしたので、最後はけっこう忙しい思いをしました。9時前には全て終わって後片付け。支度に比べて後片付けは、何の作業でもそう思いますが早いこと早いこと、雨に濡れたテントだけ残して9時半過ぎには帰宅できました。

 予想ほどたくさんの雨は降りませんでしたが、七時台に雨がありました。もし普段通り外で催されていたら撤収したり、新しく公民館で場所を設けたりと大変な思いをしたと思います。

 
 一夜明けた今日は、久し振りに爽やかな朝でした。日差しの下は少し暑いですがもう以前の刺すような日差しではありません。風があり、何よりこの間までの重くまといつくような湿気がなくなりました。このまま涼しくなってくれると良いのですが、そうは問屋が卸さないでしょうか。


 今夜のHHank Jones(ハンク・ジョーンズ)です。私は、1970年代半ば、在京時に聞きに来ました。マリアン・マックパートランド、ジョンルイスと三人のジャズピアニストの共演でした。ハンク・ジョーンズはあまり派手派手しい演奏ではなく、地味だけど端正な演奏でファンになりました。それから晩年にかけて何度も日本公演を行っています。



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春祭り [地域]

 長い間、床に伏せっている病人が、祭り太鼓の音を聞いて「ああ、今年もお祭りの時期が来たのか」とつぶやくシーンが連想されるような祭り太鼓の音が5月1日、狭い旧道沿いの家並みに響いていました。

 家々からは人が出て神輿が来るのを待っています。中学の青い体操着を着た子供たちが首から小さな賽銭箱をぶら下げて一軒一軒回っていきます。

 人々はあらかじめ用意してあった賽銭を子供たちが差し出した賽銭箱に入れます。子供会主催の神輿渡御、その賽銭がこの一年の子供会活動の原資となるのです。

 以前、我が組の宮守当番のことをブログにアップしました。それから3年、今年は組長の役で春祭りの神輿渡御に参加することになりました。

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 4月30日、宵宮です。拝殿に神輿が祀られ各組の人たちが籠堂でお弁当を食べたり、お神酒を戴いたりして祭りの前の夜を過ごします。

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 翌朝、準備が整って出陣を待つばかりの神輿。祭礼の準備は宮守、神輿の準備は子供会と役割分担されています。渡御に関わる休憩地での接待などは子供会の役員さん、神輿渡御中の交通整理は地元の消防団がやってくれます。

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 11時過ぎ、授業を早く終えた子供たちが集まってきました。子供の数はご多分に漏れず減少の一途だったのですが、数年前地域の一角に新興住宅地が出来て子供の数は盛り返しています。

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 市内全域、祭りは5月1日です。私たちの学区には6つの集落がありそれぞれに神社があります。しかし、神主は一人しかおられないので、普段の祭礼はともかくお祭りは同じ日と時刻なので掛け持ちが出来ません。お祓いや祝詞などの儀式一切は、各組から選ばれた総代さんが務めます。

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 かつては私たち組長が神輿の担ぎ手でしたが、こちらも高齢化、もう10年ほど前から神輿は台車に乗せられて引かれることになりました。風情は削がれますが担ぎ手としては助かります。

 集落6カ所の祭りを一カ所でまとめてするようにすればもう少し人出も集まって、賑やかなお祭りになるのではと思うのですが、それぞれの地域の事情もあるのでそういうわけにもいかないのでしょうね。

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 車輪があるので坂道などで暴走しないように支えているだけです。ただ役割上、神輿のそばを離れられないので自由に写真を撮ることが出来ませんでした。ここからの写真がほとんどありません。

 神社の石橋を渡って、急な坂になった参道を降りたところにある鳥居の前で、近所の幼稚園児が迎えてくれます。その幼稚園児の集団の中に、6歳と3歳の孫がいたのですが手を振るのが精一杯でした。二人とも私の姿を見つけていたようで、下の孫は一人だけ立ち上がっていました。

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 最初の休憩です。この日は30度近い天候でしたので、子供たちも少々バテ気味に見えます。この後、お昼休みと二カ所の休憩を挟んで3時過ぎまで集落内を歩きました。

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 終点の体育館です。ここで神輿はトラックに乗せられて神社に戻されます。

 集落を回る行程は約6キロほどでした。私のスマホの万歩計は甘めですが16,000歩ほどになっていました。渡御を無事終えて、みんな早く家に帰って寛ぎたかったのですが、子供会の役員さんがねぎらいの直会を用意してくれていたので公民館に寄る事になりました。

 そこでビールなどを戴きながら、暑かったけれど雨降りよりは良かったねなどと談笑しながら小一時間を過ごし、今年のお祭りもお開きとなりました。


 今夜のジャズは、Fが人出不足なのでGに移ることにします。Gの最初はジャズのお祭り、実際は葬列で演奏されたデキシーランドジャズのGeorge Lewis(ジョージ・ルイス)です。

 1,940年代、ミシシッピ川波止場の荷揚げ人足をしながら音楽活動をしていたところを見いだされて、その後は日本にも何度も来日しました。素朴で哀愁のあるクラリネットの音色が心を打ちます。


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