ちょっとだけ京都 [旅]
久しぶりに京都へ行ってきました。と言っても、午前中は職場の健康診断でした。朝食抜いていたので検診を終えたあと、空腹で食べる昼ご飯は楽しみなんですが、どれだけ食べてもいつも何か物足りなさのようなものが残るのは不思議です。
検診さえ終えてしまえば後は自由なので、まずは駅前のビッグカメラへ行きました。格安SIMで確かめたかったことがありました。平日のお店はそれほど混んでいなくて、やはり東南アジア系の客の姿がちらほら、店内の案内表記も中国語が巾を聞かせていて驚きました。
結局、スマホだけでなく、カメラ売り場やオーディオコーナーなどにも足を伸ばして1時間ほどいたかも知れません。せっかく京都に来たのであちらこちら行きたいのですが、なかなか焦点が定まりません。
とりあえず、地下鉄で四条まで行くことにしました。四条駅から四条通を河原町方面へ歩いていると、舗道にコンコンチキと祇園囃子が流れていました。そう言えば21日で祇園祭りの後祭りの宵宮だったと気づきました。
そのせいか浴衣姿の人たちが目立ちます。外国人の(この場合西洋人)姿も相変わらず多かったですね。
四条通りの舗道の幅が倍の広さになっていました。その分、車道が狭くなって渋滞が起こっているそうです。通りがかりに東急ハンズがあったので、冷やかしに入って見ました。ホームセンターや100均とはまた違って、おしゃれで面白いですよね。
河原町に近づくにつれ、人通りが増してきます。祇園祭りは新婚の頃、妻と来た記憶があるだけですが、ものすごい人と暑さの記憶があります。去年から始まった後祭りはどんな風なのか知りませんが、人が多いのには変わりなさそうです。
祇園祭りを見るのは目的ではありませんので、このまま人混みの中に飲み込まれていくのは本意ではありません。京都はここから先が面白くて、出来たらジャズ喫茶やレコード店などにも寄ってみたかったのですが、帰りの電車の混み合いなども気になって引き返すことにしました。
ジュンク堂で久しぶりにたくさんの本を堪能したりしながら烏丸通りまで戻って、地下鉄ではなく烏丸通りを駅に向かって歩くことにしました。
烏丸通り沿いのビルに市電が格納展示されていました。
祇園祭りらしい張り紙です。
錦です。通り抜けようかと思いましたが、その人混みに尻込みしてしまいました。
烏丸通りを横切る通りに見える京都らしい建物を撮って見ました。
四条通にしても烏丸通りにしても、一休みしたいなと思って喫茶を探すと、スターバックスやドトールの多いことに驚かされます。もちろん、個人店舗らしきお店も残されてはいますが少数です。
スタバやドトールを避けて、「おいしいコーヒーが入りました」と言う宣伝文句につられて入ったお店は、なんとスタバやドトールの亜流のお店でした。コーヒー代は190円と確かに安かったですが、味の方もそれなりでしたね。
通りの左右をもの珍しげに見回しながら、つらつら歩いていると思ったより早く東本願寺に着いてしまいました。
時間が遅いせいでお掘りの睡蓮の花はもう閉じていました。
何門というのでしょうか、いつもこの門の前には数匹の猫がたむろしています。この日は少なくて3匹でした。
観光客がかまおうとするのですが、猫たちは見向きもせずにじっとたたずんでいます。観光地の猫、そういう客には慣れているのでしょうね。
菊の門
阿弥陀堂門、この奥にある阿弥陀堂が長い間改修されています。
御影堂門、阿弥陀堂門を過ぎて京都駅へ向かう途中、東本願寺の角を曲がった堀の向こうに大きな緑の塊が見えました。
近づいていくと蓮の花が咲いているのが見えました。
良い被写体が見つかったので早速カメラを構えます。そう言えば、東寺で蓮の花の写真を撮ったのは去年でしたか一昨年でしたか。このところ、京都は夏ばかり来ているようです。
蓮の花の写真を撮っていると、向こう側にカメラを構えた若い女性がいました。黒いワンピースを着ています。すれ違いざま、若い女性は軽く会釈しました。私はカメラのことでも聞かれたらどうしようとどぎまぎしましたが、幸か不幸か全くの杞憂てした。彼女はさっきまで私がいたポイントに立って、シャッターを切っていました。
蓮の写真を撮り終えて、京都駅に向かったのでしたが、途中ヨドバシカメラにまた寄ってしまい、結局また小一時間ほど過ごしてやっと帰途につきました。
この日は薄曇り、風もわずかにあって長い間歩いても軽く汗ばむ程度でした。久し振りの京都でしたが、結局、2軒の家電量販店と大型書店、それに東急ハンズで大半を過ごしただけ、古都京都へ来たと言うより都会の京都を味わいに来た面が強かったです。
邂逅~誕生寺 [旅]
6月のことになるのですが、岡山県にある誕生寺へお参りしてきました。誕生寺は浄土宗の開祖、法然上人の生誕地の寺です。五重相伝を受けて20年になり、お礼参りと言うことで企画されました。
そのとき五重を受けた同行者は50名ほどだったのですが、今回はその半分ほどの人数の参加者でした。私たちはよそのお寺の方に比べると、若くして五重を受けたのですが、それでももう三,四名の方が亡くなっておられます。
バス一台を借り切って、早朝7時から岡山に向けて出発しました。梅雨のさなかのこと、心配されたお天気はやや薄曇り、時々気持ちの良い風の吹くおだやかな日でした。これも、メンバーの日頃のおこない、はたまた幹事さんの精進のたまものかも知れません。
お寺参りというと年寄りじみたイメージですが、私たちは早くに受けているので参加者の構成は40歳代から70歳あたりまで、平均年齢は50歳代だったのではないかと思います。ほとんどの方がまだ現役の方々なので日曜日に企画されました。
以前はこういう企画があっても、子供が小さくて参加できないと言われる事があったのですが、それから20年が経ってもうほとんどの方は子供の手も離れたのですが、今度は親の介護があったり、孫の面倒を見なければいけないと事情も様変わりです。その間隙を縫っての今回の企画でした。
また、お寺参りというと信心深いと思われがちですが、年齢構成からみても皆さんまだそれほどでもありません。これもまた世間のお付き合いの一環という感じで参加されていたように見受けました。すくなくとも私はそうでした。
朝早く出たせいか、宝塚あたりでの渋滞に巻き込まれることもなく、11時すぎに無事、岡山の誕生寺に着きました。住所は久米郡久米町となっていますが、パンフレットには美作の国 誕生寺となっています。美作の国というと、宮本武蔵の出生地としても有名です。
この山門は国指定重要文化財です。正徳6年(1716)建立だそうです。
私たちは回廊を通って本堂に案内されました。写真を撮ることはできませんでしたがさすがに歴史ある立派な内陣、外陣でした。そこで私たちは南無阿弥陀仏10編を何回か唱えて、ご住職の立て板に水のごとき、寺の歴史を聞きました。
そのお話によると、この寺は源平の合戦で有名な熊谷直実が、自分の息子と同じ若さの平敦盛を討ったことから仏に救いを求め、法然上人に仕え、その命によって法然上人誕生の旧邸を寺院に改めたものだそうです。
この鐘楼の鐘、どういう仕掛けか自動で鳴っていました。
カメラを忘れてきて画像は全てスマホの写真です。
そしてその横にはいくつかの像が配置されています。その中に見覚えのある像があって、もしやと思って裏に回ってみたらやはりそうでした。
私は高校生の頃、美術部に属していて彫塑を専攻していました。そのときの担当の先生が「旅立ちの法然さま」の像の制作者、山田良定先生でした。
先生は、私たちが卒業後、滋賀大教授になられました。また近江八幡市にある浄土宗のお寺の住職でもあったのです。夏休み、先生のお寺でクラブの合宿をさせていただいた思い出があります。
私は先生に目をかけていただき、ひとかたならぬ世話になったのですが、結局期待に応えることができずただ迷惑をかけただけで終わってしまいました。そのことは私の人生の中で、いくつかある青春の悔恨のひとつです。
先生の彫像は知っているところでは京都会館の玄関にもあったのですが、京都会館は今建替え中なので、建替え後、先生の作品がどう取り扱われるか分かりません。
10年ほど前に、近江八幡のお寺で先生の葬儀が盛大に催されました。恩返しもできないままお別れしたのですが、60歳を過ぎて遠く岡山の地で再会できるとは思ってもいませんでした。
誕生寺を1時間あまりお参りして、一行は津山市へ移動、そこで少し遅い昼食を摂って帰路につきました。帰り道もひどい渋滞に捕まることもなく午後七時前には無事家に着くことができました。お寺参りと食事の2時間を除いてほぼ10時間、トイレ休憩以外はずっとバスに乗り続けの一日でした。