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獅子舞2019 [日々]

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 当地の冬の風物詩のひとつ、獅子舞が今年も我が集落にやってきました。彼らがやってくる1月下旬、どんよりした寒空の日が多いのですが、今年は角付けして回る獅子の頭に明るい日差しが当たっていました。

 姿は見えないのに、笛や太鼓の音が遠くから聞こえてきます。すると人々は、家の表に出て獅子が来る方向を何度も見やります。自分の家に来る順番が気になるのです。

 笛や太鼓の音が一段と賑やかになって、やがて我が家の順番が来ます。昔は玄関から土間になっていて家の奥の勝手口まで入ってもらい、おくどさん(竈)の回りで獅子がお祓いをしてくれるのですが、今は竈もないので家の玄関先で踊ってもらいます。

 剣を振り、鈴を鳴らして獅子が舞うのは3分から5分ほどでしょうか。一連の舞が終わると笛や太鼓の人はさっさと次の家に向かい、獅子を被った人だけが最後に残ります。

 彼は、被っていた獅子の兜を脱ぎ「ありがとうございました」と礼をして次の家に去って行くのですが、その日は珍しく「では、お元気で」と挨拶して行きました。

 珍しい事です。妻も不思議がっていました。私は、また来年までお元気でと言うことなのだろうと思いましたが、妻はもう辞めるのではないかと言います。そう言えば、挨拶していった人は年配の方でした。定年?伊勢神楽にもあるのでしょうか。

 昔は獅子舞の一行の中には、毎年顔を見るおなじみの人が何人かいました。しかし最近は年ごとに人が変わっている気がします。今年は、初めて見る若い人が珍しく笛を吹いていました。太鼓を叩いている方もあまり見かけない太った方でした。

 自分のブログ記事を検索してみると、8年前の記事に「お元気で」と言った方が写っている写真がありました。そう言えば、獅子を脱いでこっちを見た顔は少し痩せていて、8年分の年月を感じさせていたようにも思います。

 以前、近所の人が祝儀をたくさん包んで「女形(おやま)道中」をしてもらおうと思ったら、逆に獅子舞の人に断わられたのだそうです。人手がなくて出来ないと。

 何の業界でも人不足が言われている昨今、一年中旅暮らしの伊勢神楽に人は集まりにくいのでしょうね。とくに若い人は入る事は入っても続かないかも知れません。

 私が子供の頃は、女形道中の他にも漫才や曲芸などを披露してくれましたが、そいういう芸を習得するには時間もかかると思います。角付けの舞も見ている以上に重労働なんだと思います。


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 モノクロームにしてみると、昔の写真を見ているような錯覚に陥ります。そして何も変わっていないような気がしてきます。




 今夜のJJohnny Hartman(ジョニー・ハートマン)とです。彼のアルバムは持っていないのですが、コルトレーンと組んだアルバムをよく聞くせいか、耳に馴染みのある歌声です。

 
曲は「シャレード」。高校生の頃、初めて見たオードリ・ヘップバーンの映画でした。この曲を聞くとなんとなくその頃自分を包んでいた甘く切ない雰囲気が懐かしく思い出されます。



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寒ざらし [畑]

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 15日も過ぎて今年のお正月も終わりましたね。時々寒い日もありますが、暖かくて穏やかな今年の滑り出しだったように思います。

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 久し振りに畑に出ました。空いている畝を耕します。寒ざらしです。畑を始めた頃は、真面目にやっていましたが最近はなおざりになっていました。

 深く土を掘り起こして霜や雨に当てます。土に空気が混じって畝の土が軟らかくなるそうです。このところ夏野菜を植えて支柱を立てるとき、手伝っている妻に土が硬いと言われていたのは、寒ざらしをサボっていたからだと思います。

 我が家にはミニ耕運機がないので、全て三本鍬で土を耕します。本当は30センチほど掘るそうですが、もうそんな馬力がありません。

 寒い時期、運動不足なのでちょうど良い運動になります。二畝もすると身体が内側からぽかぽかしてきます。この日は3本の畝を耕しました。残りはまた今度です。

 ついでにタマネギとニンニクに追肥を施しました。この日の収穫はほうれん草とブロッコリーとハクサイでしたが、写真は撮り忘れました。

 いずれも夜の食卓に出ましたが、とくにブロッコリーは冷凍ものと比べると驚くほど柔らかで感動的でした。

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 ブロッコリーの葉に着いた霜は溶けて露になっていました。

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 バケツに張った氷はまだ残っていました。




 今夜のJJoe Pass(ジョー・パス)です。真冬ですが曲はサマー・タイムです。ギターで弾かれるサマータイム、初めて聞きました。ギター一本なのに豊穣ですね。



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2019年明け [日々]

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 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。


 2019年が明けて、早3ヶ日も過ぎました。皆さん、いかがお過ごしでしたでしょうか。年末の寒さに比べると暖かな元旦、そして少し風が冷たい3ヶ日だったのではないかと思います。


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 私は大晦日の夜、組長に当たっているので近所のお寺へ除夜の鐘を撞きに行きました。11時半に集合して新しく建てられた本堂で住職による法要が行われました。

 ここは天台宗のお寺です。我が家は浄土宗なのですが、このお寺は地域の願い寺として我が集落にあります。と言われても、いまだに意味がわかっておりません。

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 法要を終えると零時前になります。皆さん本堂から境内に出て少し高くなった鐘楼の回りに列を作って並び、順番に除夜の鐘を撞きます。

 最初に住職が撞き、その後息子さんの副住職、そして我々の順番です。鐘は一度ずつ撞くのですが、別にもう一度列に並んでも良いし、一般の人も親子連れなどで撞きに来ておられます。ただ昔に比べると人が少ない気がしました。

 撞き終わった後、以前なら庫裏に集まってお茶などをいただいたのですが、今回は外で甘酒をいただくだけで流れ解散になりました。

 そのまま地元の神社に初詣に参るのが恒例ですが、役目を終えるとまっすぐ帰宅される方も多くなっています。私もそのまま帰って、お風呂に入り床に着きました。一時半頃のことです。


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 元旦は鐘撞きの時もそうでしたが夜明け後も風のない穏やかなお天気でした。10時半、今度は菩提寺へ新年の挨拶です。盛装してご住職に新年の挨拶をし、他の檀家の人たちとも新年の挨拶を交わし合います。

 その年、法事が当たっていたりするとここで住職と日程を相談したりします。新年の寺参り、以前はもう少し面倒くさかったのですが、こちらもずいぶん簡単になりました。


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 2日は我が家のお正月の集まりでした。日は年によって1日だったり2日だったり3日だったり、あるいは3ヶ日でないときもあるのですが、今年は弟の仕事の都合で2日になりました。

 暮れに息子が結婚して家族が増えて喜んでいたのですが、姪のmegumiがカニューレという器具を取る手術を受けた跡のケアで入院中のため、megumiとその母親が参加できず残念でした。

 megumiは未熟児軟化症のため気管が癒着していたので、この夏、カニューレを取り管を入れて気管を拡張する手術を受けています。

 冬休みに二度目の手術を受け、前より細い管に交換されました。管を一度に抜くことが出来ず少しず細いものに交換して、最終的になくすようにするのだそうです。

 夏に手術を受けたmegumiと結婚式で出会った時は声が掠れてほとんど出ていない状態でしたが、今回二度目の手術を受けたあと送ってきたビデオでは、前より声が出ていて聞きやすくなっていました。

 少し低くしゃがれていましたが、人工声帯を通した機械的な声ではないmegumiの肉声を聞くことが出来ました。少しずつ健常者への階段を上がっているのだと思います。


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 3日は地元の氏神様にお参りです。お正月3ヶ日、二つのお寺と神社にお参り、いかにも日本の田舎らしい忙しさというか節度のなさというか、仏教の宗派も何のその、明治以前の神仏混淆の風習がそのまま残っています。

 拝殿で役員と組長一同がお祓いを受け、その後入れ替わって今年の厄年の人たちが拝殿に上がって祈祷を受けます。剥き出しの拝殿、寒風吹きすさぶ日や雪の日もあるのですが今年は比較的ましでした。

 足下を見ると絨毯が敷かれています。つい数年前は板の間のままでした。助かると思いながらもつま先が冷えます。これで電気が通っていたら言うこと無いのになどと隣の組長さんと冗談を言いあってました。

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 私たちはお祓いを受け終えると社務所に集まり区長さんの挨拶とお神酒をいただきます。その後代参のくじ引きがあるのですが、今年はもう残りくじが少なく話し合いで決りました。

 代参は集落を代表して伊勢神宮、多賀大社、愛宕神社にお参りするすることで、毎年この日にくじで当番組を決めます。我が組はこの回、全て終わっているので当たる心配はありませんでした。全ての組が代参を回り終えると、また一からくじが巻き直しになります。

 外に出てたき火に当たりながら組内の人たちがお参りに来るのを待ちます。合流して参拝、社殿でお神酒とお米、スルメ、昆布をいただきます。社務所でもいただいているのでこの日二回目です。

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 お参りを終えたあと我が家に集まって、改まって新年の挨拶、少しの間世間話などをします。今年は組内の旅行について、積立額を減少させ泊まりがけ旅行を日帰り旅行に変更させる事が決りました。本当はもう組内の旅行を止めようという意見もあったのですが、親睦のため残すことに決りました。

 昔ですとこのまま、新年会に移ります。二組の家が当番になり一軒が宿を提供しもう一軒が手伝いをします。男衆がその日、1日飲んだくれて終わるのです。

 神社にお参りすることから始まって、家に戻ってお酒を飲んで新年会をすることをオコナイと当地では呼んでいます。どんな字を当てるのか知りません。

 長浜の長浜城歴史博物館に行った時、館内に流れていたビデオでオコナイと言う言葉がありました。私たちの言うオコナイとは違ったもっと本格的な行事だったと思いますが、同じ県内でも北と南ずいぶん違うのですが同じ言葉を使われていたので驚きました。

 当地のオコナイも簡略化されたものだと思うのですが、さらに最近ではもっと省略簡略化されています。何より従来のやり方では宿の負担が大変で正月もあったものではありませんし、ご婦人方にかかる負担が半端ではありません。

 新年会は外へ食べに出るようになってもう30年ほど経つと思います。それも、3ヶ日、開いているお店を探すのが大変と言うことで、日をあらためて別に新年会を設けるようになりました。

 他の組の組長さんに聞いて見ると、組によっては今でも3日の日にそのまま新年会を催しているところがあるそうです。さすがに家ではありませんが。

 宴会のないオコナイは少し話し合いをしただけで11時前には解散となりました。妻と私はやれやれこれで正月は終わったと、互いにつぶやきながら片付け始めました。そしてようやく寛いで炬燵に当たってテレビを見始めました。

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 2019年、最初のJのミュージシャンはJACKIE McLEAN(ジャッキー・マクリーン)です。クール・ストラッティンの演奏も捨てがたいですが、まずレフトアローンが思い出されます。ビリー・ホリディに捧げられたマル・ウオルドロンの曲ですが、ジャッキー・マクリーンのアルトが泣かせます。若い頃よく聞きました。


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