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「エール」で思うこと [音楽]

1-DSC_4198.JPG 庭のハクチョウゲの小さな花が満開を迎えています。


 NHK連続テレビ小説「エール」がこの4月から放送されています。前作の「スカーレット」に半年間慣れ親しんでいたので、新しいドラマにすぐになじめないのはいつものことです。

 それでも日課のごとく毎日見ていると、少しずつ新しいドラマに引かれていくのもいつものことです。ようやく知っている曲などが出だして面白くなり出してきたなと思っていたら、新型コロナの影響で撮影がストップしていて、6月中に放送が休止されるそうです。

 ドラマの主人公古山裕一のモデルとなった作曲家古関裕而さんのことはこれまであまり知りませんでした。萩本欽一さんが司会する「オールスター家族対抗歌合戦」で審査委員長としていつもニコニコされていたのをかすかに覚えている程度でした。

 「エール」が放送される前後から古関裕而さんの情報が入ってきて、阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」や読売巨人軍の応援歌「闘魂込めて」、高校野球の歌「栄冠は君に輝く」、早稲田大学、慶応義塾大学の応援歌、果ては東京オリンピックの行進曲まで作曲されていたとは知りませんでした。ザ・ピーナッツが歌った映画「モスラ」の挿入歌「モスラの歌」もだそうです。

 音楽家の生涯を描いているので番組中に演奏場面や歌の場面が挟まれのも良い効果をもたらしている気がします。実際歌の場面では歌唱力のある俳優さんが起用されているそうです。

 また実在の人物とおぼしき人が出てきます。新型コロナで亡くなった志村けんさん演じる小山田先生は、山田耕筰さんらしいです。しかし、木枯正人が古賀政男さんとは、番組中に歌われた「影を慕いて」や「丘を越えて」でやっと分かりました。

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田植えの時期になると咲くナガミヒナゲシ

 5月3日、「エール」関連番組として――あの日あの時あの番組「作曲家 古関裕而~昭和を奏でた音楽人生~」――が放送されました。

 ゲストに萩本欽一さんがリモートで出演され『オールスター家族対抗歌合戦』での古関さんのエピソードを語られていました。古関さんは寡黙で非常に穏やかなお人柄だったそうです。

 番組のメインは以前放送された「ビッグショー古関裕而」を編集したものでした。早稲田大学や慶応義塾大学の応援歌はあまりなじみがありませんが、夏の甲子園大会の「栄冠は君に輝く」などは聞くたびに胸が熱くなります。新型コロナの影響で今夏の大会は中止になったそうで非常に残念です。

 とくに「とんがり帽子」、伊藤久男「イヨマンテの夜」、「君の名は」、二葉あき子「フランチェスカの鐘」岡本敦郎「高原列車は行く」、藤山一郎「長崎の鐘」は懐かしかったですね。

 これらの曲も古関裕治さん作曲とは知りませんでした。私より私の両親が青春時代を過ごした昭和20年代に作られ流行った曲たちです。

 私が子供の頃はテレビは一家に一台でした。両親がテレビでこれらの曲を聞き入っていた時、私も一緒に聞いていました。そのせいかこれらの曲を聞くとなぜか自分もその時代を体験したような錯覚に陥ります。そしてその頃、両親は若く健康で私はまだ何も知らない暢気な小学生でした。

 番組での古関裕治さんはもう白髪交じり、歌手の皆さんもそれ相応に年齢を重ねておられました。1975年の放送だったのですが、ひょっとしたら両親も見ていたかも知れません。

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ご近所のコデマリ


 とくに[長崎の鐘」には思い入れがあります。もともと好きな曲でしたが、友人もこの曲が大のお気に入りで酒を飲みに行くと、この歌を歌える店の人に歌ってくれとせがんでいました。

 こよなく晴れた青空に哀しと思うせつなさよ~出だしから透明な哀しみが迫ってきますね。この友人が事故で急死しました。翌朝、6月なのに空は青く晴れ渡っていました。私はその空を仰ぎながら、彼が好きだった「長崎の鐘」の歌詞を重ねていました。

 「長崎の鐘」は古関さんのトークに寄れば、戦時中に軍歌などを作って若者を戦地に追いやった自責の念と亡くなった方への鎮魂の意味を込めて作ったとおっしゃっていました。

 番組中、軍隊の集合写真に石川達三、久米正雄、西条八十などとともに古関さんの姿がありました。若い才能が戦争に利用されたのもまた戦争の悲劇のひとつですね。

 いろいろな思いを込めて、戦争の苦しみ哀しみがこの歌「長崎の鐘」に凝縮され昇華されていったのだと思います。

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アジサイはまだこんな状態です。

 


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